第5話

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第5話

 宝飾店のタタキ二件と通り魔の書類を書き上げて捜査戦術コンに食わせると、もう定時の十七時半を一時間も過ぎていた。だが本当なら深夜番だけが欠伸をしている時間帯でも機捜課には大勢の人員が残り、また入れ替わり立ち替わり他課の人員もやってきている。  目的は勿論射撃大会の優勝賞品である酒樽だ。早速開けたそれを目当てに人の出入りが途切れない。そのうちシドとハイファにも声が掛かる。 「ほら、立役者が飲まなくてどうする。グイッといけ、グイッと!」  幾ら飲んでも酔わず、薬の類にも並外れて強い特異体質のシドは、遠慮なく一合枡でニホンシュを水のように流し込んでいた。ハイファはこもかぶりの上等な酒をカップに三杯飲まされて目許を赤くしている。  そんなハイファを心配しながらも、まあ、あとで酔い醒ましのクスリを飲ませればいいかとシドは思い、点けっ放しのホロTVに目をやった。  丁度そのとき耳につく音がする。ニュース速報というヤツで、皆が注視した。 《略取誘拐されていたキーリン商事社長がガーナシティにて死体で発見される》  何となく黙ったのち、皆は一斉に喋り始める。 「おいおい、誘拐は最近の流行りか?」 「殺されるたあ気の毒だが、身代金は払わなかったのか?」 「このセントラルエリアに飛び火しないことを祈るしかねぇなあ」  がやがやと皆が喋る中、シドは手近のデスクで端末を起動し、捜査戦術コンを立ち上げてみた。ドラグネットを繰ると未解決の略取誘拐事件がまだ三件も並んでいる。どれもセントラルエリアではなかったが、事件の性質上表沙汰にされていないものもあるかも知れない。  暫し思いを巡らせたシドはハイファを見た。やはり一人歩きさせるべきではないと考えたのだが、その目に気付いたゴーダ主任が鬼瓦のような顔を赤くして珍しく揶揄する。 「何だ、シド。嫁さんに見とれるなら帰ってからにしたらどうだ?」  またも『嫁さん』口撃にシドは怯んだ。居心地の悪さに枡酒を一気飲みする。 「ちょっとシド、幾ら酔わなくても肝臓に悪いよ?」 「おおっと、嫁さんからチェックが入りました!」  ゲームのカードをプロ並みの手つきでシャッフルしながらケヴィン警部が騒いだ。ポーカーフェイスながらシドは内心恥ずかしくて堪らず、いきなりくるりと踵を返す。 「お先に失礼します」  言い捨てるとデジタルボードの自分の名前の欄を『在署』から『自宅』に入力し直し、そそくさとオートドアから出た。慌ててハイファがそれを追う。ロビーで追いついてシドの腕を掴むと、エレベーターの方へと引きずるように歩いた。 「何だよハイファ、何処に行く気だ?」 「今日は疲れちゃったからストライクしたくないの。スカイチューブで帰るんだよ」 「たかが七、八百メートルくらい……分かった、分かったから剥がれろ」  署のビルから単身者用官舎ビルまではスカイチューブが直結している。超高層ビルの腹を串刺しにして繋ぐこれは内部がスライドロードになっており、繋がるビル内に住所か職籍を持っていないと利用は不可となっていた。  故にこれを使えば不用意なストライクも避けられる。いつもヴィンティス課長は『使え』と五月蠅いのだが、自分の足を使うことにこだわるシドが自発的に使うことは滅多にない。  だが今日に限ってはハイファの意見も無視できなかった。料理のことなど何も知らない自分と違い、帰れば主夫ハイファにはキッチンでの仕事も待っているのである。疲れ切っているのは確かで、おまけにハイファはほろ酔い加減だ。  ボタンふたつ分くつろげた襟から覗く白い胸元は上気して酷く色っぽく――。  やってきたエレベーターに乗り込み、二人きりになった途端にシドはハイファを壁に押し付ける。両腕を押さえつけておいて赤い唇を奪った。 「んっ、んんぅ……っん、はあっ! いきなりどうしたの?」 「お前、昨日の夜から触らせてもくれねぇんだもんよ」 「そっかあ。ごめんね、色々と。でもカメラに映ってるのに大胆なんだから」 「構うもんか。それよりさ、今晩、な?」  耳許で囁かれ、ハイファは上気した肌を一層赤くして小さく頷く。その反応に満足したシドは、上昇するエレベーター内で機嫌も上昇させた。だが次には誘拐事件群を思い出す。 「お前、くれぐれも独りで歩いてくれるなよな」 「それって誘拐を心配してるの?」 「ああ。何処のどいつが始めたのか知らねぇが、流行りみてぇだからな」  赤い顔をしたハイファは少々眠たげな口調で言った。 「また例の如くロニアマフィアのシノギなんじゃないの?」 「ふん、ロニアか。近すぎるんだよな」 「タイタンからワープたったの一回ってお手軽さだもんね」   太陽系に出入りするには、土星の衛星タイタンにある七ヶ所の宙港のどれかを必ず通過しなければならない。テラ連邦軍の巨大タイタン基地と、そこに駐留するテラの護り女神・第二艦隊とともにテラ連邦議会のお膝元であるテラ本星の砦とも云える要所である。  ちなみに攻撃の雄・第一艦隊は火星の衛星フォボスを母港としていて、それぞれに日々研鑽を重ねているらしいが、それはともかくロニアだった。  テラ連邦に名を連ねながらもテラ連邦議会の意向に添わない星系があるのも事実で、その子供でも知る有名処が、四六時中内戦を繰り返してはテロリスト輩出の温床となっているヴィクトル星系であり、林立するマフィアファミリーが全てを牛耳っているロニア星系だった。  特にシドたちには後者が問題で、ロニア星系第四惑星ロニアⅣはタイタンからワープたったの一回という近さにあり、本星に違法麻薬や武器弾薬が流れてくれば、まずはロニアを疑うのがセオリーとなっているくらいなのである。  だが意外にもロニアは旅行先として人気があるのだ。平和に倦み飽きた者がマフィアの饗する甘い毒のような娯楽、テラ連邦では基本的に違法とされるカジノや売春宿に作用の強い違法ドラッグなどを味わいに訪れては外貨を落とすという悪循環に陥っているのが現状だった。  スカイチューブのスライドロードに乗っかりながらシドは溜息をつく。 「通り魔もジャンキー、違法モノを食ってやがったしな。いたちごっこだぜ」 「まあねえ。それが僕らの仕事って言えばそこまでなんだけど」 「だよな。んで、主夫の買い物は?」  官舎の地下には二十四時間営業のショッピングモールがあり、そこに入居した数軒のスーパーマーケットで仕事帰りに食材を買い求めるのが主夫ハイファの日課なのだ。  だがハイファは首を横に振る。  「昨日沢山買ったし、今日はもうストライクしたくないから、やめとく」 「だから俺のせいみたいに言うのは……もういい」 「ごめん、怒った?」 「怒ったさ。けどこの落とし前は今晩、躰で払って貰うからいい」
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