第6話

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第6話

 まもなく官舎側に辿り着いて、シドとハイファは交互にリモータチェッカにリモータを翳した。ビルの受動警戒システムが二人のIDを受けて瞬時にX‐RAYサーチ。本人確認してやっとオートドアが開く。銃は勿論登録済みだ。  通路を歩いてエレベーターで五十一階へ。箱を降りてすぐに先般の別室任務絡みで本星にやってきたばかりのカール=ネスに出くわす。ハイファに似た明るい金髪の持ち主だ。  人懐こい水色の目で笑いかけてくる。 「やあ、お勤めご苦労様。今日は遅いんじゃないか?」 「仕事でちょっとな。カールはメシ、食ったのか?」 「居候ばかりしていられないからね、今、ショッピングモールのフードコートで頂いたよ」 「そっか。でも時間が合えば声掛けるから、遠慮せずに食べに来てよね」 「有難いね。是非ともそうさせて貰うよ」 「三月末のテラ連邦軍幹部入隊まで、体力つけなきゃならねぇしな」  そのまま三人は通路を突き当たりまで歩いた。ここの右側のドアがシドの自室、左側がハイファの自室で、ハイファのひとつ手前がカールの自室である。手を振ってカールと別れると、シドは部屋のキィロックをリモータで解いた。  今のような仲になって以来、殆どのオフの時間をハイファもシドの部屋でともに過ごすようになっていて、今日も一緒にシドの自室に直帰である。玄関を開けると土足禁止にしている室内へと靴を脱いで二人は上がった。  するとオスの三毛猫タマが寝室方面から走ってきて「フーッ!」と唸り、シドの足を囓り始める。これも別室任務でたらい回しになった挙げ句、『幻の愛媛みかん』の段ボール箱に詰められて宅配されてきたのだが、そんな過去が拙いのか、タマは非常に気性の荒い野生のケダモノなのだ。コットンパンツの裾に爪と牙を立てられ、シドは堪らず叫ぶ。 「痛たた、遅くなって悪かったって!」 「タマ、すぐにご飯あげるからシドを食べないで!」  急いで二人は手を洗い、シドはスープ皿の水替え、ハイファは猫缶を取り出した。朝はカリカリ、夜は猫缶と決めていて、遅くなってしまった夕食は少し高めの金のスプーン・天然カツオ半生ブロック入りである。  カパリとフタを開ける音でタマは現金にもニャーニャーと甘えた声で鳴き出し、スプーンで小皿に空けるとふんふんと匂いを嗅ぎ、カツカツと食べ始めた。  ホッとして硝煙臭い上着を脱ぎ、執銃を解く。二人は近づいてソフトキス。 「今晩は何、食わせてくれるんだ?」 「時間もあれだし簡単なもの。タイマーでライスも炊けてるし、カレーなんてどう?」 「いい、いい。カレー食いたい」 「じゃあ、貴方は先にリフレッシャ浴びてきていいからね」  言葉に甘えてシドはバスルームに向かった。全てを脱いでダートレス――オートクリーニングマシン――に放り込み、スイッチを入れる。自分もバスルームで丸洗い、リフレッシャの洗浄液を頭から被った。丁寧に黒髪に指を通してヒゲも剃る。  湯に切り替えて泡を流すと疲労物質も溶け流れてゆくようだった。  リフレッシャを止めてバスルームをドライモードにし、全身を乾かすとバスタイムは終了である。適当に乾かしてクシャクシャの黒髪を押さえつけながら寝室に向かい、また綿のシャツとコットンパンツを身に着けてキッチンへと戻った。  キッチンは肉と野菜の煮えるいい匂いが充満していて、我慢できずにシドはロンググラスを出すとジントニックを作って半分を一気に呷る。愛用の黒いエプロンを身に着けたハイファが背後のシドの行状に気付いて文句を垂れた。 「だから肝臓に悪いって言ってるのに、この人は。それに何でパジャマじゃないのサ?」 「そろそろ回っておこうと思ってな」 「えーっ、こんなに疲れたのに夜の散歩に出掛けるの?」  夜の散歩といっても闇雲に徘徊するのではない。夜しか活動しない人種とコンタクトを取りに行く、つまりは情報収集の一環である。  このテラ本星はまさに楽園の方舟のような星だが、人の欲というものには限りがない。欲が外部からの手を招き、または黒い種を蒔いて犯罪の芽が出、何れ根を張って方舟にヒビを入れてしまわないよう、常にアンテナを立てて見張っておく。そのための夜の散歩だった。  勿論、一介の刑事にできることは限られている。シドもそんなことは骨身に染みて分かっていた。それでも突き動かされるように歩き回るシドは、根っからの刑事だった。 「最近サボってたからな、少しだけだ。お前は無理しなくていいぞ」 「貴方が行くなら僕も行くよ。じゃあ、ルーだけ入れて僕もリフレッシャ浴びてくる」 「急がなくてもどうせ出掛けるのは零時前だからな」  聞いているのかいないのか、ハイファは一旦ヒータを切ると数種類ストックしてあるカレールーを割り入れてかき混ぜる。冷蔵庫に眠っていた板チョコも少し入れ、溶けるタイプのスライスチーズも裂いておたまで混ぜた。あとはヒータを弱めにしてリフレッシャだ。  進化した鍋の性能と、シドが粘度の低いカレーを好むので放って置いても焦げつく心配はない。いそいそとキッチンと続き間のリビングに置いていたソフトスーツのジャケットを手に取ると、玄関で靴を履いて通路を挟んで向かいの自室に一時帰宅である。  唐突にヒマになったシドはリビングでリモータ操作し、ホロTVを点けた。キッチンの椅子に前後逆に腰掛け、中空に浮かばせたホロ画面を眺めつつ、煙草を咥えてオイルライターで火を点け、深々と吸い込んで紫煙を吐く。  煙草と新しく作ったジントニックを減らしていると、またガーナシティでのキーリン商事社長の死体発見を報道し始めた。次にトピックスとして新作のシネマ情報などが流れる。眺めながらグラスの液体をぐびぐび飲み、ハイファがいないうちにもう一杯をこさえて啜った。都合四杯目を飲んでいる間にハイファが急いで帰ってくる。 「ごめんね、お腹空いたでしょ」 「んあ、カレーの匂いは殺人的な卑怯さだよな」 「すぐ出来上がるから、待ってて。あとそれ以上飲まないで」  こちらもいつものパジャマ姿ではなく、ドレスシャツとソフトスーツのスラックスだった。外回りするときも機動性を重視してコートは着ない。スーツは一応断熱素材だが寒くない訳ではなく単にイヴェントストライカのバディとして気を使い、我慢しているだけである。けれど宇宙を駆け巡るスパイ時代に免疫チップを躰に埋めているので風邪は引かない。  一方で健康優良児に見えて風邪を引きやすく怪我も多いシドを心配するが、大きな子供は隠れて悪さばかりしては風邪だの怪我だのをこじらせる。お蔭でハイファの心配は絶えないのだが、今は取り敢えず大きな音で自己主張するシドの腹を宥めなければならなかった。  以前に作ってあった鶏の竜田揚げを冷凍庫から出しオーブンで温める。冷蔵庫からミモザサラダを出してテーブルに置いた。深皿にライスとカレーを盛りつけて並べる頃には竜田揚げにも火が入り、プレートに出せるようになっている。  僅かながら自分に可能な手伝いとして、シドがカトラリーを出した。 「さてと。もう二十時になっちゃう。いただきまーす」 「いただきます。熱っ、旨い、熱ちち!」 「鍋にいっぱいあるんだから、ゆっくり食べてよね」 「急いで重石をしとかねぇと、胃が裏返って飛び出して行きそうなんだ」  馬鹿なことを喋りながらシドはスプーンを操るハイファを眺める。 「なあに、僕の顔に何かついてる?」 「いや、カレー食うのもお前は優雅だな。王族の血のせいか、それとも帝王学教育の賜か?」 「帝王学ねえ。でも十五歳で家を飛び出しちゃったから、中途半端なんだよね」  ハイファの生みの母は王族でありながら、当時FC社長だったチェンバーズ=ファサルートの愛人だった。四歳で母が亡くなってやっとハイファは認知されたのである。  だがそれは哀しい幼少期の始まりでもあった。未来のFC社長として、まさに鞭打たれながら様々な知識を詰め込まれる毎日が待っていたのである。  おまけに父チェンバーズは精神を病んで声を出すことができなかった。事情を知った今は大人同士として付き合っているが、そんなことを知らない当時のハイファにとって家族とは、ハイファをいない者の如く無視をして声ひとつ掛けない冷たいものだったのである。  結局はFCを継がないことを明確にするため十五歳で家を飛び出し、テラ連邦軍付属少年工科学校に入校したのだ。そして少年工科学校をスキップし、十六歳で部内幹部候補生課程に進んで、敷地が隣だったポリアカに入校中のシドと運命的な出会いをしたのである。  一方、民間交易艦で生まれ育ったシドは事故で六歳にして家族全員を失くして施設で育ち、十二歳で寄宿制の学校に特待入学、そこもスキップし十六歳でポリスアカデミーに入校した。  そう、運命の日は、敷地が隣合わせというだけで例年行われる、ポリスアカデミー初期生とテラ連邦軍部内幹部候補生の対抗戦技競技会だった。
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