第1話

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第1話

「私という夫を持つ身でありながら、いったい何を考えている!」  大声で怒鳴った霧島(きりしま)は手にしたカップを割りそうな勢いでガチャンとソーサーに置くと、シルバーで三段になったケーキスタンドからイチゴホイップのシュークリームをわし掴みにし、口の中に放り込んだ。  それを横目で見ながら京哉(きょうや)は上品なサイズのブルーベリータルトをしずしずと小皿に移す。 「そんなに喚かないで下さい。大体、TVを点けたのは(しのぶ)さんじゃないですか」 「だが水着ショーにヨダレを垂らして見入っていたのはお前だろう?」 「ヨダレなんか垂らしてません。それに僕だって二十四年間、男として生きてきたんですから勝手に目が吸い寄せられるってこともある訳で……」 「ほう、もう正当化に走るのか」  何処までも機嫌の悪い霧島に京哉は閉口して冷めかけた紅茶を飲み干すと、今枝(いまえだ)執事から三杯目の茶を貰った。今日の紅茶はダージリンで去年のセカンドフラッシュという話だったが、ひたすら間を持たせるために飲んでいるだけなので殆ど味も分からない。 「京哉。確か私とお前は『一生、どんなものでも一緒に見てゆく』と誓い合った筈だが、ならば私にも水着女性を一緒に見ろということか。それが相棒(バディ)でありパートナーでもあるお前の要請とあらば一緒に見てやろう。どうだ?」 「どうだって、そんな……」  タルトを華奢なフォークでつつきながら京哉は更なる言い訳を頭の中で転がしていたものの、これ以上口に出すのは逆効果と悟り、ひたすら嵐が過ぎ去るのを待つ態勢に入る。  チラリと年上の愛し人を窺うと、温度のない灰色の目で見返されて首を竦めた。  ここは首都圏下の貝崎(かいざき)市にある霧島カンパニーの保養所だ。  世界各国に支社を持つ巨大総合商社の霧島カンパニーだが、ここは霧島会長の身内しか利用しない別荘のような使い方をされている施設なので、それほど規模は大きくない。その会長御曹司である霧島忍と一生涯を誓い合った仲であるが故に、京哉もこの部屋を貰ってアフタヌーンティーを頂いている。  鳴海(なるみ)京哉、二十四歳。県警の機動捜査隊・通称機捜で隊長及び副隊長の秘書をしている巡査部長二年生だ。スペシャル・アサルト・チーム、いわゆるSAT(サット)の非常勤狙撃班員でもあった。県警本部長から直々に指名され、SATの狙撃班員になったのは京哉が元スナイパーだからである。    だがそれは警察官としてではなく暗殺者としてであった。  女手ひとつで育ててくれた母を高二の冬に犯罪被害者として亡くし、大学進学を諦めて警察学校を受験した。その入校中に抜きんでた射撃の腕に目を付けられ、課程修了し配属寸前に呼び出されて告げられたのだ。顔も見たことのない亡き父が生前に強盗殺人という大罪を犯していたことを。  真っ赤な嘘だったが京哉は嵌められた。まさか警察の幹部にそんな嘘で陥れられるとは思いも寄らなかったのだ。それから五年間も本業の警察官の傍ら、狙撃での暗殺に従事してきた。政府与党重鎮や警察庁(サッチョウ)上層部の一部に霧島カンパニーが組織した暗殺肯定派にとって邪魔な政敵や産業スパイを暗殺する実行役を務めてきたのだ。  だが霧島と出会って決意し『知りすぎた男』として消されるのを覚悟でスナイパー引退宣言をした。だがやはり簡単に辞めさせて貰える訳がなく、京哉も暗殺されそうになった。そこに機捜隊長の霧島が機捜の部下たちを率いて飛び込んできてくれて、危うく命を存えたのである。あの瞬間こそまさに間一髪と言える刻だった。  そのあと警察の総力を以て京哉がスナイパーだったことは隠蔽されたためにこうしていられるのだが、『知りすぎた男』は却って便利に使われるようになった。  独力で様々に企み仕掛けて暗殺肯定派を一斉検挙に導いた霧島も同様で、当時の交錯した人間関係や事実を掴んだ驚異の調査能力とスパコン並みの超計算能力を発揮したお陰で『知りすぎた男』認定だ。  そんな京哉と霧島の二人はプライヴェートでは一生涯を誓ったパートナー同士、のちに職務上でもバディになった。通常は内勤しかしない機捜隊長にバディは就かないが、案件によっては霧島隊長は自ら飛び出してゆく。その霧島隊長が必ず行動を共にする京哉を周囲がバディ認定するまで大してかからなかった。  そうして職務上でもプラーヴェートでも二人一組で数えられるのが常となった頃から、二人はたびたび県警本部長から呼び出しを食らうようになったのだ。特別任務と称し、初めのうちは国内で面倒臭い職務を与えられていた。  だが特別任務の内容は徐々にアグレッシヴ且つクリティカルなものとなり、県警本部長も単なる窓口としか思えないようになってきた。命令は県警本部長から与えられるため二人に断る選択肢はない。そういう追い詰め方をしておいて特別任務は県警内案件に収まらなくなってきたのだ。  今では実際に命令を下してくる依頼主が某大国だの国連安保理事会だのという、とんでもない『上』だったりする。  当然ながら任務自体もたびたび国外にまで及び、ここ数ヶ月間は殆ど休むヒマもなかった。機捜にいられる日の方が珍しかったくらいだ。機捜の詰め所でなく特別任務中に休んでいると普通に弾丸だのロケット弾だのが飛んでくるのだから本当に休んではいられない。  とにかくそんなどエラい目に二人は遭わされてきて何度も大怪我を負った。それぞれに特技を持ち危機管理能力が標準より高くても超人ではないのだから当たり前だ。  そして先日の特別任務で霧島がインフルエンザ真っ最中に海に飛び込むハメになり、その後の検査でまたも肋骨の骨折という怪我が発覚してしまったのである。  だが本人が入院を頑強に拒んだため逃げ出さないよう二人で暮らすマンションから人目も多く医師も常駐するこの保養所に一時的に引っ越して五日が経っていた。  当の霧島忍は二十八歳で階級は警視である。この若さで機捜隊長を拝命し警視の階級にあるのは最難関の国家公務員総合職試験を突破したキャリアだからだ。だが本来ならキャリアが進むべき内務ではなく現場でノンキャリア組を背負うことを強く希望し、念願叶って機捜隊長になったという経緯がある。  京哉暗殺を霧島が救った一件で霧島カンパニーはメディアに叩かれ、株価が暴落し窮地に陥ったが、数ヶ月を耐えて今は回復し株価も却って上昇傾向にあった。  故に警察を辞めたら霧島カンパニー本社社長の椅子が待っている上に、父である会長も社長の椅子に座らせようとあれこれ画策してくるのだが、本人は警察を辞める気など微塵もない。  それどころか生みの母を愛人にした父の霧島会長をクソ親父と呼んで毛嫌いし、裏での悪事の証拠さえ掴めたら逮捕も辞さないと明言して、寄ると触ると罵詈雑言を浴びせる始末だ。むしろ京哉の方が会長を『御前』と呼び親しんでいるくらいだった。  そんな変に子供染みたところがありながら、絶対にプライドを捨てられない年上の愛し人を京哉はチラチラと窺っては溜息をつく。  怜悧なまでに整った横顔。切れ長の目はハーフだった生みの母譲りの印象的な灰色だ。百九十近い長身でスリムに見えるが、あらゆる武道の全国大会で優勝を飾っている猛者でもあった。  まさに眉目秀麗・文武両道を地でゆく、他人から見たら非常に恵まれた男である。  普段からオーダーメイドスーツを着こなし颯爽とした姿に女性が目を留めない訳もなく、事実『県警本部版・抱かれたい男ランキング』では数期連続トップ独走中だ。  だが生来の同性愛者なのを隠してもいないので、その点は京哉もやや安堵していられるのだが、今日のようにTVで数分間水着ショーを眺めただけで責められるハメにも陥っている。  それも積極的に視聴した訳ではなく、霧島が点けたTVにたまたま映っていたのを目にしただけだ。おまけに特集でもなくニュース映像に映っていただけで……。
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