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第2話
センサ感知して開いたオートドアの外に出ると、通称戒名と呼ばれる捜査本部名を長々と印字した紙を片づけていた婦警が「きゃあっ!」と黄色い声を上げた。
無視してシドはエレベーターではなく階段を降りる。帳場は捜査一課が主体のため、立てられていたのは捜一のある五階大会議室だ。
五階分の階段を降りる間、シドは押し黙っていた。ハイファもこれ以上は危険だと察知していたので、もうからかいはしない。
辿り着いたのは一階のデカ部屋、正式名称は太陽系広域惑星警察セントラル地方七分署・刑事部機動捜査課という長ったらしいモノである。
二人は機動捜査課員だ。機捜課は殺しやタタキなどの凶悪事件の初動捜査を担当するセクションで、同報という事件の知らせが入れば真っ先に飛び出して行かねばならない。それ故に機捜課は七分署の一階にある。
だが二人が戻った機捜課のデカ部屋は定時を前にして皆、ヒマそうだった。
情報収集用に点けっ放しにしてあるホロTVに見入る者、噂話に花を咲かせる者、デスクで居眠りする者、本日の深夜番を賭けてカードゲームにいそしむ者――。
自分のデスクに戻るなりシドはまた煙草を咥える。ハイファが紙コップをふたつ持ってきてひとつをシドに手渡し、ひとつを自分のデスクに置いた。中身はデカ部屋名物の通称泥水と呼ばれるコーヒーである。
「さあて、頑張って書きましょうね~っ」
「ハイファお前、残り何枚だ?」
「今朝のひったくり二件の四枚と、街金強盗の始末書一枚だよ」
「俺はタタキも入れて六枚と始末書だ。くそう、何だって俺たちだけ忙しいんだ?」
「それはシド、イヴェントストライカのキミが外をほっつき歩いては、事件を持ち帰ってくるからだ」
降ってきた声は多機能デスクに就いたヴィンティス課長だ。午後の一発目にシドとハイファの街金強盗狙撃逮捕の報を聞き、血圧が下がってへたり込んでいたのだが復活したらしい。
「我が機捜課に外回りなどという仕事はないのだよ。それなのにキミは勝手に『信念の足での捜査』などと称しては出掛け、うろついては事件を持ち帰り、管内の事件発生率を建築基準法違反並みに積み上げてだな……」
課長のデスクの真ん前がハイファ、その左隣がシドなので大概の話は筒抜けである。だがシドは耳が餃子にでもなった顔でヴィンティス課長をガン無視だ。
「大体この醒めた世の中で、誰が躰を張って割に合わない罪を犯すというのかね。なのにキミは飽きもせずに毎日のように『ツアー客』を引き連れてくる。一般通報前に現場にいて同報を流してくるとは、サイキ持ちでもあるまいし、いったいどういう――」
右から左に聞き流しながらシドはペンを手にして書類に取り掛かった。咥え煙草のまま紙切れを酷い右下がりの文字で埋めてゆく。
書類は何と今どき手書きなのだ。容易な改竄防止や機密保持のために先人が試行錯誤した挙げ句、結局落ち着いたローテクである。筆跡は内容と共に捜査戦術コンに査定されるので、幾らヒマそうでも他人に押し付けることもできない。
「キミが転属してきた四年前から、管内の事件発生数イコール、ほぼキミのストライク数だという事実に目を向けてだな――」
言われずともシドだって刑事だ、現実認識能力は人並み以上にあるので分かっている。
新たにテラフォーミングされた数多くの他星系惑星に比べて、この母なるテラ本星は妙なエリート意識が漂う社会だ。圧倒的に犯罪発生率も低い。
そんな世情で機捜課員は皆ヒマ、だが血税でタダ飯を食う訳にもいかず、他課の張り込みや聞き込みの下請けにまで回される『何でも課』と化しているのが常なのだ。
平和なのは良いことだ、シドも平和を愛している。人一倍、切に願っているといっていい。なのに因果な特異体質は平和を享受するヒマを与えてはくれない。自分たちだけが事件とその報告書類に日々明け暮れている。
「八日連続の発砲、今週に入って九件の狙撃逮捕、二人合わせて十八枚の始末書とは、わたしはもうセントラルエリア統括本部長に合わせる顔もないのだよ。だから少しは――」
段々ヴィンティス課長の説教が愚痴っぽくなり、哀願に変わりつつあった。
別にシドだって好きで始末書を量産している訳ではない。状況が許さず発砲に至ってしまうだけだ。
シドとハイファは八年と数ヶ月前、二人の出会いとなったポリアカ初期生とテラ連邦軍部内幹部候補生課程の対抗戦技競技会で動標部門にエントリーし、ともに過去最若年齢にして最高レコードを叩き出したという射撃の腕の持ち主だ。誤射などしたことがない。
だが衆人環視での発砲は考えられる危険性から問答無用で警察官職務執行法違反となり、連日のごとく始末書A様式を埋めるハメに陥っている。
黙して報告書を二枚終えたところでシドのポリアカでの先輩であり、警務課に『シドがハイファの肩を抱いたショット』を流した張本人であるマイヤー警部補が涼しげな声を上げた。
「皆さん定時ですよ。本日の深夜番はわたくしとヤマサキ、宜しくお願いしますね」
ぞろぞろと人員の動向を示すデジタルボードに列ができる。自分の名前の欄に『自宅』と入力した者から去り、あっという間にデカ部屋はスカスカになった。
「また書類で居残りっスか、先輩」
左隣のデスクに戻ってきた後輩のヤマサキをシドは見上げる。
「ヤマサキお前、嫁さん二人目産んだばっかりだろ。いいのかよ、深夜番に就いて」
「暫く勘弁して貰ったんで、仕方ないっスよ」
「弱いクセに博打に手を出すからだ、馬鹿が。付き合わされるバディのマイヤー警部補のことも考えろよな」
そう言うシドは単独時代から深夜番は免れていた。真夜中の大ストライクで非常呼集が掛かるのを課長以下課員一同が恐れるためだ。バディのハイファも同様の扱いである。
「へへ……それより見て下さいよ、これ。可愛いでしょう」
ヤマサキのデスクには第一子のサヤカ嬢と、生まれたてほやほやの第二子であるナナミ嬢の3Dポラが飾られていた。けれどニヤけるヤマサキには悪いが、生まれたての人類が可愛いと思えないシドは、正直な反応として書類を盾にコメントを差し控える。
控えた上に「お前に用はない」と口には出さないが態度に出してチラリと一瞥、冷たい視線を浴びせて追い払おうとした。
しかしまるで気付かぬヤマサキは、なお話しかけてくる。
「先輩たちもこの愉しみを味わったらどうっスか、遺伝子操作で」
「うるせぇな、もう。俺は忙しいんだ、見て分かるだろ?」
ペアリングまでしておいて矛盾していると自覚しつつも職場ではハイファとの仲を強情に否定し続けているシドは、話の雲行きの悪さに不機嫌オーラ全開の尖った声で唸った。
だが邪険にされても七分署一空気の読めない男は、帰れない深夜番のヒマさでべらべらと喋り続けた。そしてふいに立ち上がり、何処かへと消える。
「何なんだ、あいつは」
「大変だね、先輩」
静かになったので集中し、十八時半になってやっと全ての書類を書き上げた。
FAX形式の捜査戦術コンに紙を食わせながらシドは何気なくデカ部屋を見渡した。すると珍しくまだ残っていたヴィンティス課長と目が合う。
課長のブルーアイは晴れやかだ。
「シド、明日のデートは遠出したまえ。遠方がいいとミセス・ルビーが言っていた」
「何なんですか、いったい!?」
ミセス・ルビーは最近話題の占い師だが、それはともかく、つまりは管轄内をうろついてイヴェントにストライクするな、とっとと管轄外に出ていろということだ。常日頃より何処でもいいからシドをよそに押し付けることに腐心しているのがこの課長である。
ブルーアイを睨みつけながらシドは唸った。
「そういう課長こそ、このあと居酒屋『穂足』で、また俺たちを地獄に叩き込む密談じゃないでしょうね?」
「何のことだね?」
「しらばっくれないで下さい。毎度毎度あの別室長ユアン=ガードナーのサイキ野郎と呑み場で俺たちを別室任務に放り込む相談を……んぐ」
慌ててシドの口を塞いだのはハイファである。
「大きな声で言わないで、軍機なんだから!」
軍機、軍事機密のことだ。
ハイファの軍と惑星警察の二重職籍は軍機扱いで、機捜課内では本人とシドにヴィンティス課長しか知らない事実なのである。
そしてハイファが所属する別室は出向させても放っておいてくれるようなスイートな機関ではなく、未だに任務を振ってくるのだ。そしてそれは組織の違いをものともせずイヴェントストライカという特異体質、言い換えれば『何にでもぶち当たる奇跡のチカラ』を当て込んで、今ではシドにまで名指しで降ってくるのである。
いつも拒否権なしのタダ働きに駆り出されるシドは鼻を鳴らした。
「ふん、誰も聞いちゃいねぇよ。大体、本業やるヒマもねぇくらい任務を振ってきやがって、そのたびに『出張』だ『研修』だって俺たちばっかり特別勤務、機捜課七不思議だぞ。俺たちには何かあるって、ヤマサキ以外のみんなが勘付いてるに決まってるだろうが」
「勘付いてても、表立っては触れ回らないのが大人なの」
「ナニがオトナだ。とにかく俺は別室にも別室長の野郎にも何の借りも義理もねぇんだ。いい加減に図々しいマネは止めて貰いたいもんだな!」
別室長ユアン=ガードナーと飲み友達である課長の前で言い放ったが、今度は課長の方が聞こえないフリだ。そんな課長を睨みつけながらシドは武器庫の解錠を申し出る。
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