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第3話
課長が多機能デスクを操作するのを見計らって武器庫に向かい、ついてきていたハイファと共に分厚い扉を閉めて二人きりになると、シドはハイファを抱き竦めてキスを奪った。
捩る勢いで唇を合わせ、歯列を割って侵入するとハイファの舌を捉える。絡ませてきつく吸い上げ、何度も唾液をねだってはすくい取って飲み干した。
「んっ、ぅうん……んんっ、はぁん、だめ」
口を解放されたハイファはシドの胸を突いて逃れる。
「応えたクセに、何がだめなんだよ」
「早く帰らなきゃ、タマが暴れるでしょ」
「あのヤクザ猫か、仕方ねぇな」
あっさり引き下がったかと思うと素早くハイファの耳許にシドは囁いた。
「今晩、な」
「……うん」
目許を上気させて頷いたハイファは押し倒したいくらいの色っぽさだったが、シドはそこまで血迷わず銃を抜き、フィールドストリッピングなる簡易分解を始めた。
太陽系では普通、私服司法警察員に銃の携帯許可を出していないが、普通の刑事ではないシドが日々を生き存えるにはスタンレーザー如きでは事足りない。銃はもはや生活必需品だ。必要性は捜査戦術コンも認めている。
いつもシドが所持している銃はレールガン、針状通電弾体・フレシェット弾を三桁もの連射可能な危険なシロモノだった。有効射程五百メートルを誇る巨大な銃は右腰のヒップホルスタに収めてなお突き出た銃身を、専用ホルスタ付属のバンドで大腿部に固定し保持している。
一方のハイファもシドのバディを務める以上、外出時は常に執銃していた。
ソフトスーツの懐、ドレスシャツの左脇にショルダーホルスタで吊っているのは火薬カートリッジ式の旧式銃だ。薬室一発ダブルカーラムマガジン十七発、合計十八連発の大型セミ・オートマチック・ピストルは名銃テミスM89をコピーした品である。
撃ち出す弾は認可された硬化プラではなくフルメタルジャケット九ミリパラベラムで、異種人類の集う最高立法機関である汎銀河条約機構のルール・オブ・エンゲージメント、交戦規定に違反していた。パワーコントロール不可能な銃本体も違反品で、元より私物を別室から手を回して貰い、特権的に登録し使用しているのだ。
二人並んで手早く分解清掃すると、シドは電磁石や絶縁体の摩耗度合いなどをマイクロメータで測って確かめ、フレシェット弾を満タンに装填した。
ハイファは掃除をしたのみ、九ミリパラはここにはないので帰ってからだ。
武器庫を出るとヴィンティス課長は既にいなかった。
「遅くなっちまったな。帰るか」
椅子の背からチャコールグレイのジャケットを取り上げてシドは羽織った。
このジャケットもただのジャケットではない。特殊ゲルを挟み込んで見た目よりも重いこれは、余程の至近距離でもなければ四十五口径弾をぶち込まれても打撲程度で済ませ、生地はある程度のレーザーをも弾くシールドファイバという対衝撃ジャケットである。
自腹を切ったその価格も六十万クレジットという品だが、もう幾度となく命を拾っていて、おまけに夏は涼しく冬は暖かい逸品というのが自慢だ。何処に行くにも着ている、いわばシドの制服だった。
二人は深夜番のヤマサキとマイヤー警部補に頭を下げてからデジタルボードを見た。既に二人の名前の欄は『有休』となっている。課長が嬉々として入力したものと思われた。
軽く溜息をついてシドはハイファと機捜課のデカ部屋を出た。
署のエントランスを出て正面オートスロープではなく、脇の階段を自らの足で降りながら、シドは夜空を見上げる。
いつもながら超高層ビル同士を串刺しにして繋ぐ通路のスカイチューブが衝突防止灯を鈴なりに灯し、クリスマスイルミネーションのように騒々しい。内部がスライドロードになったこれは署と官舎も直通で繋いでいるのだが、シドは自らの足を使うことにこだわって、自発的に使うことは殆どなかった。
光害で星は見えなかったが猫の爪のような細い月が黄色っぽく輝いている。
救急機が二機、緊急音を鳴らして上空を飛び去った。救急機はBEL、BELは反重力装置を備えた垂直離着陸機で、AD世紀のデルタ翼機の翼を小さくしたような機体だ。
二人が住む単身者用官舎ビルは署から右に七、八百メートルの所にあった。
併設のスライドロードにも乗らずにファイバの歩道に踏み出しながらシドは左側の大通りを眺める。これもいつも通りにコイル群が列を作っていた。僅かに地から浮いて走るコイルも小型反重力装置駆動で、もうヘッドライトを煌めかせている。
BELもコイルも排気はないので、官庁街をゆったりとかき回す生温かいビル風はクリーンで不味くない。緊急音を度外視すれば騒音もなく結構静かだ。
そんなテラ本星セントラルエリアを暫くも歩かないうちにハイファのリモータが振動し始める。その発振パターンにシドはビクリと身をこわばらせて歩を止めた。
「ああ、ごめん。別室からだけど、任務じゃないから」
確かに数秒待ってもシドのリモータは沈黙したままだ。
「じゃあ、誰から発振だ?」
「別室の有志が発行してるメルマガ、『GH通信』」
「ふうん。『GH通信』の『GH』は何の略だ?」
「ガードナーズ・ヘヴン」
「けっ。人を地獄に蹴り落としといて、何が天国だって?」
「まあ、このメルマガに室長はタッチしてないし、別室員のささやかな皮肉もこもってはいるんだけどね」
「とにかく、そういうのは別のパターンに変えておけよな」
「ラジャー、次から」
「ったく、こいつのお蔭で冗談抜きに寿命が縮まるぜ」
と、シドは左手首に嵌っているガンメタリックのリモータを振った。惑星警察の官品に似せてはあるがそれより大型で、ハイファのシャンパンゴールドと色違いお揃いの、別室と惑星警察をデュアルシステムにした別室カスタムメイドリモータである。
これは別室からの強制プレゼントで、ハイファと現在のような仲となって間もないある日の深夜に寝込みを襲うようにして宅配され、シドは寝惚け頭で惑星警察のヴァージョン更新と勘違いし装着してしまったのだ。
これを通じて別室任務が降ってくるという本来ならばかなぐり捨てたいシロモノなのだが、別室リモータは一度装着者が生体IDを読み込ませてしまうと、自ら外そうが他者に外されようが『別室員一名失探』と判定した別室戦術コンがビィビィ鳴り出すようになっているという。だから迂闊に外せない。
その代わりにあらゆる機能が搭載され、例えば軍隊用語でMIA――ミッシング・イン・アクション――と呼ばれる任務中行方不明に陥った際には、部品ひとつひとつにまで埋め込まれたナノチップからの信号を、テラ系有人惑星ならば必ず上空に上がっている軍事通信衛星MCSが感知し、探して貰いやすいなどという利点もある。
おまけに様々なハッキングなどもこなす、なかなかの優れものなのだ。
だが軍人でもないのにMIAの心配をし、司法警察員のクセにキィロックコードをクラックしてまで他人のBELを盗んで敵から逃げ回らなければならないのは何故なのか。ガチの戦争に放り込まれ、マフィアと銃撃戦をし、砂漠で干物になりかけねばならないのはどうしてなのか。
「くそう、考えたら腹が立ってきたぜ」
「でも、そうやって怒っても、いつも任務は一緒にきてくれるんだね」
「それは……責任取るって言ったし、誓ったからな」
「一生、どんなものでも一緒に見ていくんだよね」
声には出さずにポーカーフェイスの切れ長の目が頷く。つまりは惚れた弱みでハイファを独りで危険な任務に送り出すことができなくなってしまったのだ。
春の夜気の中をしなやかな足取りで歩くシドにハイファは微笑んで寄り添う。
ほどなく単身者用官舎ビルに到着し、シドが訊いた。
「今日の主夫の買い物はどうすんだ?」
官舎の地下は一般客も利用できるショッピングモールになっていて、仕事帰りに食材を買うのがハイファの日課なのだ。手先は器用だが料理音痴のシドは荷物持ちである。
だがハイファは首を横に振る。
「昨日、沢山買ったから今日はいい」
「ああ、山ほど買ったっけな」
昨夕は買い込み直後に強殺犯とストライクしてしまい、生鮮品をチルドロッカーに押し込んでの捕り物は刻々と萎びてゆく野菜の心配でハイファは完全に上の空、なかなかに大変だった。
官舎のエントランスに近づくと、二人はリモータチェッカに交互にリモータを翳す。
マイクロ波でIDコードを受けたビルの受動警戒システムが瞬時にX‐RAYサーチ、本人確認をして一人に付き五秒間だけオートドアをオープンする。銃は登録済みだ。
中に入ると背後で防弾樹脂製のドアが閉まった。
仰々しいまでのセキュリティは仕方ない。ここに住んでいるのは一介の平刑事や軍人だけではないのだ。僅かではあるが議員センセイたちまでが同じ官品という括りで入居している。
エレベーターに乗って五十一階へ。降りて廊下を突き当たりまで歩くと右のドアがシド、左がハイファの自室だ。ここで一旦分かれてシドは自室のロックをリモータで解いた。
腹を空かした三毛猫が出迎え、靴を脱いで上がったシドの足を囓り始める。
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