第9話

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第9話

 動く気になってしまったらしいシドに、ハイファは複雑な思いに囚われながら席を立つ。愛用の黒いエプロンを着け、冷蔵庫から食材を出して愛し人の好物を作る準備を始めた。その間にシドは別室資料でイオタ星系についての予習だ。 「イオタ星系は第三惑星リサリアと第四惑星ラーンのふたつがテラフォーミングされてる、と」  ハイファの刻む玉ねぎに目をしょぼつかせながら資料を読み進める。 「約三千年前の反物質機関発明とワープ航法の確立で宇宙時代がテラ人にも到来した、その初期の頃に発見された星系か。歴史は古いんだな」  そのあとイオタ星系は各星系で同時多発的に起こった『テラ連邦議会による植民支配からの脱却を!』と銘打った第一次主権闘争で星系政府が主権を獲得したと資料にはあった。 「で、イオタ星系に問題が起こったのはテラ標準歴で三十五年前か」 「あそこの政治形態は主権獲得時からずっと王政でね。それが三十五年前、第三惑星リサリアの王宮でお家騒動があったんだよ」 「お家騒動……跡継ぎ問題か?」 「そう。本当に王子が父王の命を狙ったのか濡れ衣なのかは分からないけどね――」  テラ標準歴で当時十八歳だった王子に王の殺害を企んだという容疑が掛かった。王子は一度は捕縛されたものの忠実な侍従たちの手引きで脱出に成功し、第四惑星ラーンへと逃れたのだという。  逃れた先のラーンに仮宮を構えた王子を王は敢えて討とうとはしなかった。そのまま王は十三年後に亡くなり、ラーンに逃れた王子の腹違いの弟が新王となった。 「ところが弑逆(しいぎゃく)未遂騒動から十五年、ラーンに莫大な地下資源が埋蔵されていることが分かって、王位に就いて二年の新王ローマンは黙っていられなくなったんだよ」  それまでは堅実かつ地味に高品質な繊維が主産業だったリサリアの民衆も、地下資源はイオタ星系全星民の宝だと主張し始め、新王はラーンの資源採取に着手する。 「だが同時に隠遁していたキース王子が『我こそは正統なる王』だって名乗り出てきちまったって訳だな」 「名乗り出るだけならともかく、それまでキース王子を匿っているかどで割とないがしろにされてきたラーンの民衆も王子を支持、おまけに王子支持勢力がラーンの惑星内駐留テラ連邦軍を掌握。今はラーン正規軍って呼ばれる王子の私兵だね」  それからまもなく資源採取をしていた新王の手勢とラーン正規軍が小競り合いを起こしたことをきっかけに、第四惑星ラーン上で戦闘が勃発。新王も慌てて第三惑星リサリアにて徴兵制を実施。兵をかき集め、現在に至るも両者は資源と王位をかけて相争っているという。 「それでも戦争勃発から二十年、今ではそれぞれの支配地域から地下資源が輸出されて両者の資金源になってる。有名なのはこの地下資源って訳」 「そいつはファサルートコーポレーションの情報か?」 「まあね」  ハイファはテラ連邦でも有数のエネルギー関連会社ファサルートコーポレーション会長を実の父として持つ。血族の結束も固い社で一度はハイファも社長に祭り上げられたが何とか逃れ、今は名ばかりの代表取締役専務という肩書きだけで許して貰っているのだ。  溶き卵をフライパンに流し込みながらハイファはやや沈んだ声を出す。 「でも戦争中には変わりないし、どころか双方、傭兵まで雇って派手にやってる」 「傭兵、プロの代理戦争屋か。下手すると正規兵より戦い慣れてるからな」 「メタル・クレジットで雇い放題だよ」 「んで、今回の一連の事件に使用された武器を分析の結果、鋼材に第四惑星ラーン特有の鉱物であるラナチウムの含有が確認された、か」 「だからって内紛続行中の惑星一個、何処の誰が武器密輸に関わってるかなんて分かったもんじゃないよ」 「そいつを探ってこいって任務だろうが」 「まあ、そうなんだけど……はい、できた。食べようよ」  テーブルの上にはオムライスとグリーンサラダ、わかめスープが並んでいる。オムライスからバターの香ばしい匂いがして食欲をそそられた。 「お、旨そう。いただきます」 「どうぞ、召し上がれ」 「ん……卵がトロトロでメチャメチャ旨いなこれ」 「ゆっくりでいいから、サラダもちゃんと食べてよね」  長年の刑事稼業で早食いが習い性になっているシドは言われて食べるスピードを落とすが、そのときには既にオムライスの三分の一は胃の中である。  食事中は仕事の話をしないというのが二人の暗黙のルール、雑談しつつシドは酸っぱいもの嫌いの自分のためにドレッシングまで手作りのサラダも最後まできちんと食べきった。  リビングに移り、食後のコー人煙草タイムになると、さすがにハイファも問題から目を逸らせなくなる。 「資料に依れば『現在は王を名乗る両者間で第六次停戦協定が結ばれ、ラーン全星に於いて全面的に戦闘も小康状態を保っている』らしいぞ」 「だからこそ今、命令が降りてきたんだね」 「チャンスってことなんだろうな。適任者の別室員は仕事を選べねぇんだろ?」 「でも、最低限貴方は腕を治してからじゃないと……僕、独りで行ってくるよ」 「だめだ。言ったろ、二人で行くか、二人とも行かないかだ」 「じゃあ、すぐにでも義肢を――」 「手術も入れて三日は再生槽だぞ」 「うーん」 「別に戦争真っ只中に飛び込むってんじゃねぇんだ、そう心配するなよ」 「……」 「行って様子見て帰ってこれば、それで義理は果たせるだろ?」 「それはそうなんだけど……」  自分の『義理』を果たすためだけに、本来ならば入院している筈のシドを僅かでも危険のある地へと同行するのは非常に気が重かった。それに行けば行ったでシドが武器密輸の痕跡を掴もうと、身を顧みず行動するのは目に見えている。 「で、イオタ星系にはどうやって行くって?」 「ワープ五回だから一日じゃ無理だね。経由地はフレイア星系第三惑星フノス」 「あそこか、まずはワープ三回だな」  三十世紀前にワープ航法を会得したテラ人だったが、未だワープの人体に対する影響を克服するには至っていないのが現状だ。ワープ前には宿酔止めの薬を服用するのが一般的な上に、星系間ワープは一日三回までが常識とされていた。  それ以上でもこなせなくはないが、プロの宙艦乗りでもなければ止めておいた方が得策である。無理をしたツケは躰で払うハメになるのだ。  更には怪我の的確な治療を怠ってのワープも危険である。亜空間で傷口から血を攫われ、ワープアウトしたら真っ白な死体になっていた、などということになりかねない。 「それはいいけど貴方の腕、大丈夫かな?」 「大丈夫だって。きっちり綺麗に塞がってるぞ」  着替えなどを手伝う際に目に入りはするが、怖くてあまりよく見ていないのだ。 「いつ出るんだ?」 「今晩……ううん、明日の朝でいいんじゃない? 前払いはチケットじゃなくてクレジットが流れてるし、タマを預ける都合もあるし」 「あー、こいつな」  と、いつの間にか膝の上に載っていた毛玉をつついた。 「またマルチェロ先生に預けるしかねぇのか」  マルチェロ医師とは隣室の住人のことである。職業は別室専属医務官で、普段は人当たりが良く二人にとっては頼りになる存在なのだが、病的サディストという一面を持ち、中央情報局内でも『拷問専門官』として恐れられているらしい。 「隣にあんまり甘えてると、いつか三味線にされちまうぞ」 「じゃあ斜向かいの『猫使い』さんに預けてみるのはどうかな?」 「カールか。でもあいつ、最近見かけねぇけど軍に入隊してからどうなったんだ?」 「あ。そういや今、幹部候補生の他星系演習の真っ最中だった」  二人は顔を見合わせた。今回も猫ラーメンの出汁にされるリスクを背負ってでも、サド医者に預けるしかないかも知れない。既に隣家には猫グッズも一式揃っていて身柄(ガラ)を引き渡すだけである。  だが手軽さを差し引いても斜向かいのカール=ネス、以前は某星系の軍人から王にまでなり二人が別室命令通り暗殺したフリをしてまでテラ本星に逃がした男に預けたかった。  出汁にされる心配がないどころか『猫使い』の異名をとるカールは、凶暴なタマを傷ひとつ負わずに風呂に入れられる唯一の人物だ。  しかし不在なら仕方ない。意外と暢気な天然男が他星系の原生動物に食われてなきゃいいがとシドは思う。その間もタマはシドの袖を捕まえようと奮闘中だ。 「こら、お前のことだぞ、分かってんのか?」  長いしっぽを引っ張られた三毛猫は「シャーッ!」と唸って袖に噛みつき怪訝な顔をして、二人は笑った。 ◇◇◇◇ 「うわ、こんなに作って誰が食うんだよ?」 「貴方と僕に決まってるでしょ。でもやっぱり多すぎたかな?」  TVニュースをシドが視ている間にハイファが用意した夕食は明らかに作りすぎだった。テーブルにプレートが満載となっている。 「出掛けるなら冷蔵庫を整理しなきゃって思ったんだけど」 「残ったらお前お得意のパウチだろうが、マルチェロ先生にも持って行かねぇか?」 「そうだね。あの人、ほっとくとイモムシやカタツムリばっかりだもんね」  プレート二枚にハイファは手早く煮物や炒め物、和え物などを彩りよく盛りつけてシールした。シドと二人でそれぞれ一枚ずつ手にして玄関を出る。  隣室のドア脇のパネルにハイファが呼び掛けた。 「先生、ご飯ですよーっ!」
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