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2人は、やがて結婚し、お互いをとても大切にし合う、温かな夫婦になる。可愛い赤ちゃんも生まれ、これ以上の幸せはないと思うくらい、2人は幸せな日々を送っていた。
ところが――――そんな2人をまっ暗闇に突き落とすような事故が起きてしまう。
娘をベビーカーに乗せて買い物に出た彼女、歩道を歩く2人に向かって、突っ込んでくる車。飛ばされるベビーカー、重傷を負い、意識を失う彼女。
知らせを受けて駆けつけた彼の目に飛び込んできたのは、2人の大切な愛娘の小さな遺体。重傷で意識不明のままの妻。
もう、このあたりから、私は、涙が止まらなくなってしまった。あんなに幸せだったのに。ちょっとしたタイミングで、こんなひどい事故に遭ってしまうなんて。あんなに可愛い赤ちゃんだったのに。あんなに、可愛がっていたのに。むり。泣かずにはいられない。
隣では、想太もお母さんも泣いている。客席のあちこちで、泣いている気配と、鼻水をすする音がする。
(ハンカチハンカチ)一生懸命ポケットを探る。ない。そうだ、カバンに入れて、駅のコインロッカーだ。うう。顔ぐちゃぐちゃなのに。
隣から、想太が青いタオル地のハンカチを差し出してくれた。前に、私が貸してあげたやつだ。
「返そうと思って持ってた」ささやくような声で、想太が言う。
(ありがと)私も口パクでお礼を言う。
物語は進む。やがて、彼女の意識は戻り、彼女は、大事な娘が、亡くなってしまったことを知る。けれど、重傷で死の淵をさまよっていた間に、娘の葬儀が終わってしまっていたので、どうしても、亡くなってしまったことが実感できなくて、苦しむのだ。
彼女の体の傷は、少しずつ回復していくのだけど、心は、深く傷ついたままで、彼も彼女も、毎日、あれほど笑って過ごしていたのに、まったく笑えなくなってしまうのだ。
可愛い娘を失ったことがつらすぎて、彼は、この事故が彼女のせいじゃないことをよく分かっているのに、『なぜ、よりによって、あのタイミングで、あの場所にいたのか、なぜ、可愛い大事な娘を、あんな風に死なせてしまったのか』と、ついつい彼女のことを、恨んでしまうようになるのだ。
彼女も、同じように自分があの場所に行かなければ、と自分を責め、立ち直れないくらい落ち込んでいる。そして、彼が彼女のことを責めるような眼差しで見ていることに、気づいて、深く傷ついていく。
2人は、2人でいればいるほど、どんどんつらくなって、心がどんどん離れていってしまうのだ。
(もう、むり。むり)
私はつらすぎて、涙が止まらなくなり、ハンカチは、さらにぐっしょりだ。涙と鼻水で。
とうとう、別れて暮らすようになった2人。
ある日、1人で、事故現場を訪れた彼女。思わず、ふらっと道路に飛び出してしまいそうになる彼女を、後ろから抱いて引き留める人物。彼だ。
彼も同じように、事故現場を訪れていたのだ。
2人は、そこで、お互いをいたわる言葉を事故後初めて交わすのだけど、もう、遠く離れた2人の心は、元に戻ることはなくて、彼と彼女は、それぞれ、別の方向に向かって立ち去っていく。
圭さんのピアノが、静かに、優しく痛みを癒やそうとするように流れる。わずかに明るさを感じさせる曲に、彼らがいつかは、立ち直れる日が来ることをかすかに予感させて、物語は終わった。
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