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【虹のスクリーン】
我が家の朝は静かだ。
「おはよう」
「……おう」
スマホのアラームを止めてもそもそと起きだし、台所にいる父さんに挨拶をする。「高2にもなって親に挨拶なんかしねーぜ」という友だちもいるが、挨拶は大事なので、うちでは必須。
振り向いた父さんの返事が一瞬遅れるのは、俺の様子を観察しているから。そのことに気がついたのは小学生のときだけれど。
ある朝、父さんの大きな手が俺の顔に伸びてきて額や頬に触れた。
「……熱はないようだな」
とっさのことに驚いて、黙ってこくこくと頷いた。前の晩に布団のなかでこっそりと漫画を読んでいて、夜更ししたことがばれたと思ったのだ。
そのときの父さんは、それ以上は何も言わず朝ご飯を用意してくれた。でも俺が食べる様子を、ちらちらと窺うように見ていたと思う。
俺は心配ないことをアピールするために口いっぱいにほおばった。自分のことを気にかけられていることが、面映ゆくてたまらなかった。
中学生になると背も伸びて、風邪なんてめったにひかなくなった。それでも朝の観察は習慣化されていて、ちらっと俺の顔を見るのは相変わらず。父さんが弁当を作ってくれる横で、俺が食パンを焼いて朝ご飯を用意するようになった。
ローカルなラジオ局の生放送が流れる食卓で、お互いの予定を確認しながら朝食をとるのがうちの朝の風景だ。始業間際に駆けこんでくる同級生が「遅刻しそうだったから朝メシ抜きだ……」と泣きそうな顔をするのが、とても気の毒になる。
話がそれたが、うちは昼も夜も総じて静かだ。大きくはないが一軒家で高校2年の俺と50代の父親のふたり暮らし。その父親が寡黙な性格となれば、賑やかとはほど遠い。
両親は俺が4歳になったばかりの頃離婚した。
母親が帰ってこないと泣く俺に「悪いな。母さんが考えてたのとは違ったらしい」と、大きな手で撫でてくれたたのを覚えている。
母さんの笑顔は思い出せない。ぼんやりとした記憶のなかで甲高い声を聞く父さんは、いつも困り顔をしていた。
それでも寂しくなかったのは、父さんが一生懸命に世話を焼いてくれたからだろう。普段の口数は少ないが、俺が聞けば面倒がらず答えてくれる。ゲームでも昆虫採集でも、やってみたいと言えば何でも一緒に遊んでくれた。父さんを手伝えることが嬉しくて、俺は少しずつ家事を覚えた。
やがて父さんは、俺と自分の趣味を共有するようになった。映画を観ること。それは俺と父さんの大切な時間だ。
たぶん一番最初は、テレビ番組で人気だった戦隊ヒーロー物を観たと思う。俺は大きなスクリーンの迫力ある画面に圧倒されて、映画館が大好きになった。
それからは、友だち同士みたいに「次は何を観ようか」と相談して、いろいろなジャンルの作品を観てきた。俺には難解なサスペンス映画やかっこいいアクションシリーズ。話題の国民的アニメも。
古い邦画のなかで、家族団欒のシーンがあると物珍しい気分になった。そんなとき父さんは少しだけバツの悪そうな顔をする。俺は少しも気にならないけれど、わざわざ伝えたりはしなかった。
父さんは過去に観た映画の話もしてくれた。意外だったが、若い頃は恋愛映画もたくさん観たらしい。
「会話の勉強になるかと思ってな」
大柄な父さんが少し照れていた。でも、銀幕の名台詞が実生活に役立つことはあまりなかったそうだ。青春時代の父さんが想像できて笑えた。
ストーリーもキャストも音楽も、映画にまつわる話は尽きない。時間があれば映画館に出かけ、見終わるとご飯を食べて帰るのが我が家のレジャーになった。
映画の余韻そのままに興奮している俺の話を、父さんが相槌をうって聞いてくれる。
この時間が俺は好きだ。
ところが最近、父さんの様子がおかしいような気がする。断言できるほどの確信はないけれど、ほんのちょっとした違和感を俺は感じていた。
先月は人気シリーズの最新作を観た。主演俳優のアクションシーンがかっこよくて、二人とも好きな作品だ。映画のあとファミレスに向かったところまではいつもどおりだった。
俺は腹が減っていたからハンバーグとフライのセットを注文した。父さんはうどんとか蕎麦を食べることが多いが、その日は「季節のなんちゃら、なんちゃら添え〜」みたいなメニューを頼んでいた。俺は「そんな言いにくそうな名前の料理を?」と思ったのだ。
案の定つっかえながら頼む父さんの顔が少し焦っている。違和感は続く。料理が運ばれると「ありがとう」とちょっと笑った、と思う。無愛想な人ではないが、そんなことは初めてだった。
その2週間後、俺は恒例のファミレスでいつになくメニューに迷った。料理を作るシーンの多い映画のなかで、主人公がピザやパスタを美味しそうに食べていたから。見かねた父さんが「両方頼んで一緒に食べよう」と言ってくれた。更に「野菜が足りないな」とカルパッチョ風サラダを追加する。俺は父さんの口から出た洒落たメニューに驚いた。父さんはそのときも「ありがとう」と微笑んだ。前回よりもはっきりと。
料理を運んでくれた女性が会釈して立ち去った。
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