【虹のスクリーン】

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「もしかして父さんは、あの人のこと……」  土曜日の午後。市立図書館で本の背表紙をながめたとき、頭のなかを先日の父親の笑顔がよぎる。映画の原作にはまってから小説を読むようになった俺は、気になるタイトルをチェックしていた。  俺が借りた本を「おもしろそうだな」と父さんも読むことがある。  今朝は「忙しくて映画館に行けないとき、小説なら気晴らしにちょうどいいな」と言っていた。 「出かけたい理由は、映画だけじゃないだろ?」  とっさに俺は言い返す言葉を飲みこんだのだ。  別におかしなことではないとわかっているつもりだ。10年以上も、ひとりで俺を育ててくれた。もう手のかかる子供ではないのだから、俺に気兼ねする必要もない。そういう相手がいてもちっとも悪くない。  良い思い出が少ないからか、これまで母親を恋しく思ったことはなかった。ひとりで留守番する家の中には、映画のポスターや、子どもの頃俺が描いた絵や宿題の作文なんかが所狭しと貼ってある。母親を連想させる物は無くなったが、どちらを向いても父親の気配があった。  ただ、そんな場所でふたりきりの生活に慣れすぎて、他の誰かがいるのは想像もできない。「嫌なのか?」と自問してもわからない。そもそも父親の真意も聞いてはいないのだ。    そんなことを考えるともなく考えていると、手を繋いで歩く親子連れが目にとまった。 「ファミレスのひとだ」  女性は仕事中は結んでいた髪をおろしているが間違いない。小学校低学年くらいの男の子を連れていた。 「結婚してたんだ」  ほっとしたような、残念なような妙な気分になった。さっきまでぐるぐると答えの出ないことを考えていたのが、急に馬鹿らしくなる。目が合わないように顔を反らしていると、ひそめた話し声が漏れ聞こえた。 「明日はお仕事だから、本を読んで留守番しててね」 「いっぱい借りてもいい?」 「いいよ。どれにしようか?」  そのとき、女性がバッグのなかを気にする素振りをした。子どもに耳うちすると、スマホを手にしてひとりで自動ドアを出ていく。  男の子はその場にぽつんと立ったままだ。なんだか放っておけなくて近づくと、泣くのを我慢しているのか口をぎゅっと結んでいた。  俺はそのとき、忘れてしまっていた自分の姿を見たような気がした。  電話を終えた女性が戻ってきた。 「ごめんね、急に仕事に行くことになったから戻らなくちゃ」 「今日はお休みだって言ったじゃん!」 「しっー。大きな声を出しちゃだめ。本を選ぼう、ね?」 「嫌だっ!」  その子の目から涙がこぼれてしまいそうで、俺は思わず声をかけた。 「あの、ファミレスの方ですか?」  怪訝そうな女性に、何度か店で見かけていること、自分は高校生で、住所はここで、父親の会社はこれで……。学生証やら保険証を見せて説明する。どうしてこんなことをしているのか自分でもわからないのに。  とにかく、泣きそうな男の子をひとりにしてはいけない気がしていた。館内では迷惑になるから外に出て父さんに電話をした。父さんは仕事中だったが、俺の話を聞いて女性に男の子を預からせてほしいと頼んでくれた。電話越しにも父さんの真剣な様子が伝わってきた。 「マサキくんっていうんだ。俺はカズヤ。高校2年だよ」  俺と父さんの家に、別の誰かがいる。それは思いのほか悪くなかった。  初めこそ落ちこんでいたマサキくんは、壁に自分の好きな変身ヒーローの写真を見つけて 「これ、映画のやつだよね?」 と、目をキラキラさせた。観たかったけどお母さんの仕事の都合で行けなかったらしい。 「お父さんが死んじゃったから、代わりにお母さんが頑張ってお仕事をたくさんしなくちゃいけないんだ」寂しい気持ちを隠しているのが伝わってきた。 「うちにはお母さんとふたりだけ? 俺は父さんとふたりなんだ」 「お兄ちゃんも?」  境遇が似ているとわかり安心したのか、マサキくんと俺はすっかり打ち解けた。「引っ越してきたばかりだから一番目の友だちだ」と嬉しそうに笑ってくれた。  定時で帰ってきた父さんが俺たちをファミレスに連れていき、仕事の終わったマサキくんのお母さんとそのまま4人で夕食を食べることになった。マサキくんは跳ねるようにして喜んだ。  父さんが改めて突然の申し出を詫びると、マサキくんのお母さんはテーブルにぶつかる勢いで頭を下げた。 「今日は本当に助かりました。いつもシフトで無理を言ってるので代打を頼まれると断れないんです」  マサキくんは3年生で、ひとりきりでも留守番できるのだが、今日はお母さんも休みなので一緒に遊ぼうと約束していたそうだ。  泣きそうだったことは俺とマサキくんの内緒事なので「俺もマサキくんと遊べて楽しかったです」と言うと、お母さんは俺にも礼を言ってくれた。  食事がすむと、父さんは「ついでだから」とマサキくんたちを車で送ろうとした。お母さんは最初こそ遠慮したけどマサキくんが眠そうだったので折れるしかなかった。  ふたりの住むアパートは俺たちの家の近所だった。マサキくんを重そうに抱えたお母さんは、車をおりてからも何度も頭を下げた。父さんはいつもと変わらない顔をしていた。  急に何もかもが変わってしまうわけじゃない、でも確実に変わるだろう。  助手席に座る俺の胸に、そんな漠然とした予感みたいなものがある。それは決して嫌ではなくて、くすぐったいような寂しいようなむずむずと妙な感じだ。  俺は顔をフロントガラスに向けたまま、運転する父さんに話しかけた。 「今度、ふたりで映画にでも行ってきたら? 俺はマサキくんと遊んでるし」 「そうか。それもいいな」  父さんも前を向いたまま返事をした。  声が少し嬉しそうだ。    
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