九、遺書

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どしゃ降りの中、アパートが見えなくなる所まで夢中で走っていたが、ついに息が切れて、足を止めた。もつれて、倒れそうになる。 何とか踏ん張り、膝に手を突いて、ぜえぜえと息をした。 出てくる時は必死だったから、傘の事なんか頭に無かった。 もう全身ずぶ濡れで、その場にうずくまりたくなる。 まだ、もっと、遠ざからなければ。あの人をひとりにしなければ。 今はとにかく、俺はあの人の近くに居るべきじゃない。 その意識だけで、サンダルを引きずって歩き出す。あれだけ頭に血が上っていたのに、今は熱が奪われて、指先まで冷たかった。 何も考えずしばらく歩いて、やっと、マンションが見えてきた。 早く部屋に戻って倒れ込みたい。 そう思いながら、無意識に癖で、ポケットを触っていた。 その瞬間、血の気が引いた。 スマホが無い。 思わず立ち止まって、来た方向を振り返った。 どこかで落としたのだ。今までこんな事は1回も無かったのに、よりによって、こんな豪雨の中で。 どうやって探せばいい。 酸欠状態の頭を必死に回転させる。そもそも、いつから無かったのか、思い出そうと。 少なくとも、アパートに行く前はあったはずだ。 もう1度、全部のポケットを触った。サイフと、タバコはある。 確かにこのハーパンのポケットは浅いが、走って落ちる角度じゃない。しゃがんだり、座ったりするでもなければ……。 そこで、思い当たる事があった。 「……ああ」 もう、引き返せない。 諦めてまた、マンションに歩き出す。 もし、そうじゃないとしても、どうせ槐さんから連絡が来る事はない。 これ以上、何か考える力も残っていない。 誰かから連絡があっても、今は対応できる精神状態じゃない。
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