九、遺書

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他人に想像もつかないような人生を歩んでくれば、何が正常で何が異常なのか、分からなくなっても無理はない。 そんな修羅場をくぐり抜けて来たような人の手綱を、俺が握っていられるはずがない。 俺の思い通りにできるわけがないのだ。この人には、俺の常識なんか通用しない。 恋人になっても、何が変わるわけじゃない。 この人は変えられない。俺の手には負えない。絶対に。 「俺……あんたを殺して、俺も死にたい……」 本心だった。もう何も考えたくない。 いくら無理だと分かっていも、どうしても諦められない。 死んだ後に一緒になれるなら、俺もこの人と、そうしたい。 禁断だの何だの言われ、信頼している仲間から後ろ指を差されてビクビクしながら過ごすのはもう沢山だ。 誰にも、何にも邪魔されない所に、この人とふたりだけで逝きたい。 降り注ぐ雨の音と、雨粒が窓に当たる音がする。 槐さんが目の前に座ってくる。すっと手を出して、頬に触ってきた。 「そうすればいい。それが君の、精一杯の忠義なんだろう」 よく言ったと言わんばかりに、むしろ褒めるようにされた。 確かに今まで、逃げてばっかりの人生で、こんな風に腹を括ったのは初めてだった。 最期に、この決断ができて良かった。 その人は、少しだけ離れたかと思うと、部屋の隅に置いていた風呂敷の中から、別の帯を取り出してすぐ戻ってきた。 「ただ、刃物なんかで傷を付けられるのは嫌だ。できれば、こっちでやってほしい」 「何で……」 聞きながら、受け取るしかなかった。俺の手にはまだ、ちぎれた帯が巻き付いたままだ。 槐さんはふわっと力の抜けた、笑ったような顔で答えてくれた。 「私が誘いを拒んだ試しがあるか?」
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