九、遺書

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人が死ぬっていうのは、もっと複雑だと思っていた気がする。 腹を決めてしまえば、こんなに何もかもがすんなりいく。むしろ清々しいくらいの気分だ。 「ずいぶん気の早い男だ」 槐さんは、うんとは言ってくれない。 分かってた。どうにかして俺の物にできるなら、こんな事はしていない。 俺にはもう、こうするしかないんだ。 畳に仰向けになった槐さんに言われるまま、あの人の上にまたがって、両手で帯をひっぱり始めた。 こうするのが一番、力が入るから。 俺なら手でも絞められそうな細い首に、暗い色の帯が巻き付いて、ゆっくり食い込んでいく。 綺麗な顔を見たいけれど、なぜか見られない。目線を上げられずに、首が絞まっていくところばかり見ていた。 「怯えなくていい。そんなに優しくされると、また誘いたくなってしまう」 喉仏が動くから、なかなか上手くできない。 喋らないでください、と言いたかったが、言葉が出てこなかった。 「はっ、はっ……」 口は開くのに、息をするのに精一杯だった。 それどころじゃない。 手に力が入り過ぎて、震えている。こめかみから汗が流れてくる。 きっちり絞まったのをさらにひっぱっていく。 ぎりぎりと音がするようになって、白い手が、俺の腕を掴んできた。 「がっ……、あっ、ぐ……」 さっきまでツヤのある声を出していた所から、汚くて、聞き苦しい音が漏れる。人の声とは思えない。 聞きたくない。こんなのは、俺の知っている槐さんじゃない。 視界の端に、チカッと赤い光が見えた。 それに気を取られて、集中が切れてしまった。 遠くの方から、何かが近付いてくる音がしている。 アパートの前での道だろう。 待て。俺は今、どこにいるんだ。 雷とは別の、赤い光がまた見えた。床に横たわった槐さんの顔をなぞるようにしていく。 雨が窓ガラスを滑り落ちる、波みたいな影と一緒に。 何だこれは。どういう状況なんだ。何で俺は、槐さんの上にいるんだ。
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