九、遺書

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人間の危機感をわざと煽るような、サイレンが鳴っている。どんどん近付いてくるのが分かる。 消防車か、救急車か、パトカーか……。 やばい。 まず最初に思ったのはそれだった。 それまで何を考えていたのか、思い出せなくなった。 我に返るというのは、こういう事なのかも知れない。何処かから、生き返って戻ってきた感じがした。 ふと気が付いたら、俺は帯を持って、槐さんの首を絞めていた。 自分が何をしようとしているか理解した瞬間、冷静になった。体の内側で、頭の先から下へ向かって血の気が引いていくのを感じる。 「え、槐さん……、俺……」 もう、できない。手が震えて、帯の1本すら握っていられない。 何と言おうか迷った瞬間、槐さんの目がまっすぐに見てくるのと目が合った。 ふっと、それまであった目の輝きが消えた。 「私に嘘をついたな」 冷たい声だった。これまで生きてきて、聞いた事もないほど。 「私しか要らないと言ったのに……。今、ほかの事が気になったのは、の事を、この後の人生を考えていたからだ」 違うとは、言えなかった。 腰が引けて、何も言わず逃げるように姿勢を起こす。 赤い光が、アパートの窓枠に反射して、目を突き刺してきた。 表情の消えた槐さんが、自分の首から帯を外して、起き上がる。 見ている俺から目を背けて、床にべったり座り込み、帯を握った拳ごと、畳に叩き付けた。 バン! ピシャッ! と鋭い音がした。 「私が疎ましかったんだろう! 君も皆と同じ、私を捨てる気だったんだ!」 槐さんが叫んだ。 びりびりっと部屋中に響くような声で、俺は動けなくなってしまった。 あの人は何度も畳を殴り付けて、叫び続ける。髪で目元が隠れて、歯をむき出して叫ぶ口しか見えない。 「私を殺して、本当は自分だけ、逃げる気だったんじゃないか! そうだろう!」 雷が落ちた。また、雨が強くなって来た。
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