九、遺書

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違う。それだけは違う。絶対に。 俺は槐さんと死ぬつもりだった。すぐに後を追って、生まれ変わって一緒になりたかった。 言いたいのに、声が出てこない。 槐さんが立ち上がって、俺の胸倉を両手で掴んで立たせてくる。この細い腕の、細い体のどこに隠していたのか、強い力だった。 「違うとは言わせないぞ! もう……もう沢山だ! 君は今までの男以下の、忠義の欠片も無いやつだ!」 怒鳴り付けてくる槐さんの、表情が見えない。 けど、どこかで見た事がある気がした。 窓からサイレンが聞こえて、通過していく赤いランプの光が入ってきた。 前髪の隙間から、睨みつけている目が見える。 暗い中で、金髪の隙間に赤い目をして、口を大きく開けて、俺に襲いかかってくる……。 これは夢で見た、吸血鬼の槐さんだ。 俺も両手で槐さんの肩を掴んで止めようとした。 「ちがっ、違います! 俺は本気で──」 「うるさいっ! 触るな!」 泣き叫ぶような高い声を上げて、両腕で突き放そうとしてくる。 俺の手が押さえている骨格は男のものだし、力も強い。 今まで力の入っていない人形のように面白くなさそうな顔をしていたり、ふわっと力の抜けた穏やかな顔で笑ったりしてきたのと、同じ人だとは思えない。 これは夢かも知れない。いや、夢じゃない。夢だったら良かったのに。 暴れる槐さんの踵が、俺の右足に落ちた。 どん! と踏まれて、激痛が走る。 まだ柔らかい爪が生えてきたばかりの親指を思い切り踏まれて、声も出ない。 思わず手を放してしまった。 その場にうずくまると、槐さんの素足が飛んでくるのが見えた。 体の中で、ミシッという何かが軋む音がする。息ができなくなった。 何が起こったのか分からなかった。 正面から、胸を踏み抜くように蹴られたらしい。 そう理解する時には、俺は後ろに倒れる形で尻もちをついて、胸を押さえていた。
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