九、遺書

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「はっ……、はっ……、はっ……」 胸の痛みはないのに、息が苦しかった。冷や汗がだらだら出てくる。 もう寒くもないのに、ずっと震えている。目が回って、口が乾いて、吐き気もする。 葬式があったばかりで、また2人も、一族から死人を出したら。 あの人は、槐さんという男は、本当に居なかった事にされてしまう。 俺だけは死ぬまで憶えておこうと思っていたのに、他の誰でもない、俺のせいで。 かーちゃんとオヤジは、人殺しの親になる。息子が、血の繋がった男に入れ込んで、心中した。 そんなの、親戚中からどんな目で見られるか分かったものじゃない。男を誑かす男より、もっと、ずっと……。 工場の皆、うどん屋の家族、元カノは、同級生や友達は、どうなるだろう。 自分と縁のある中に、男に狂って心中したやつがいたと知ったら……。 また、サイレンが聞こえてきた。 人間の危機感をわざと煽るような、サイレンが鳴っている。 赤い光と、床に横たわった槐さんの顔が、目に焼き付いている。 頭の上に腕を回して、布団をかぶり直す。 「ううっ」 もう、どんな音も聞きたくない。 外を走る車の音も、サイレンの音も、犬の鳴き声も、自分の心臓の音も、聞きたくなかった。 俺がサイレンを聴いたから、あの人は狂ってしまったのだ。 無機質に鳴り続けるのが不気味だし、こうして音に意識を持っていかれている事自体が恐かった。 何が起こるか分からなくて。 スマホが無いから、時間も分からない。 この時間が、永遠に続く気がした。
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