一、樒

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ブロック塀で仕切られた建物を回り込み、側溝にタバコを捨てて、アパートの敷地内に入る。 入り口近くに生えたヒマワリは、少し前まで腰までの高さしかなかったのに、いつの間にか181センチの俺よりデカくなっていた。 自生したのか、誰かが植えているのかも知らない。大家は別の場所に住んでいて、手入れをしているのも見た事がない。 世間では平成も終わると言うのに、ここは相変わらず絵にかいたような昭和の物件だ。 レトロと言えば聞こえはいいが、築44年ともなれば話は別だ。耐震基準も防音対策もヘッタクレもない。 風呂トイレ共同とか、何なら銭湯通いでも不思議はない見た目だから、ユニットバスが付いているだけで充分だと思ったのを覚えている。 藤沢市や海老名市と隣接している割に、聞いた事のなかった綾瀬市なんて地名も、今となっては住み慣れた町だ。 最近は、「あやせ」の名前を付けた“菜速”トウモロコシがスーパーに並び出した。メロンと同じくらい甘いらしい。 学生の頃に住んでいた都内に比べて、外国人が多いのも住みやすいからなのかも知れない。 この建物は家賃相場よりも安かったし、当時は安定して続ける仕事がやっと決まったところで、とにかく固定費を安く抑えたかった。その職場も、やや遠いものの、徒歩圏内にある。 ひとまず、郵便受けを覗く。 何も入っていないのを確認してから、鉄の階段を上がった。サンダルでも、カンカンカンと聞き慣れた音がする。 薄くホコリの積もった手すりを触ればヤケドしそうだ。 2階の廊下はトタン屋根の下で、風通しも悪く、むあっとした空気が充満していた。 こんな場所に6年も住んでいたなんて、今となっては、自分の事ながら信じられない。 声は、1番奥の部屋からしていた。 木戸の横には洗濯機が置いたままになっている。 六畳間に、板張りの台所スペースと、ユニットバスがついているだけの、室内に洗濯機を置く事もできなかった狭い部屋だ。 一応、鍵も持ってきたが、必要なさそうだった。
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