天国とアンブローズ

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天国とアンブローズ

『疲れたので天国に行ってきます。 颯樹(さつき)』  ぽかぽかと暖かい土曜日のお昼。  まったり寝坊して起きた矢先、テーブルの上でそんなメモを見つけたら、誰だってびっくりするのではなかろうか。  俺と弟は、食卓の前で固まった。  時刻は午後十一時。学校に行く日なら七時には起きる俺達も、今日は休みなのでまったり遅くまで寝ていたわけである。それでも両親がいたら八時くらいに起こされそうなものだが、両親は明日まで旅行で帰ってこないわけで。  つまり、この家には俺と、弟と、年の離れた兄貴しかいないわけである。  俺が小学校六年生で、弟が三年生。兄貴が高校一年生。  家事を一通りマスターしている兄貴が家にいるなら大丈夫だろう、とそうみなして両親も安心して夫婦だけで旅行に行ったわけだが。それがまさか、こんなことになるなんて誰が予想できるだろうか?  いや、真面目な兄貴が、俺と弟より早く起きているのは別におかしなことじゃない。朝、そこそこの時間に起きないと洗濯ものが片付かないし、と彼はいつも言っている。だから彼が早起きして洗濯物を洗って干し、俺と弟の朝食をテーブルに用意して家を出て行く――こと自体は別に変でもなんでもないわけだが。  よりによって、このメモである。  俺達の朝食、目玉焼きとトーストの前に律儀に置いてあるのである。  綺麗なボールペンの文字に、兄貴の名前のサイン。これは間違なく、兄貴が書いたものに違いないわけで。 「に、兄ちゃん……」  弟が震え声で言った。 「て、てててててててて天国ってどういうこと?て、天国ってあれだよね?お、お、お空の上の天国だよねえええ!?」 「まままままままままま、まて、お、おちゅちゅけ。ま、まりゃ、そうと決まったわけじゃないじょ!」 「兄ちゃん噛んでる、噛んでる!まったく落ち着けてないからああああ!」  俺達は動揺しっぱなし。油の切れたブリキ人形よろしく、ぎぎぎぎぎ、とぎこちない動きで互いに顔を見合わせるしかない。  こんな、遺書みたいなメモを残して、自分達を置いて出て行く?あの兄に限って、そんなことがあるのだろうか。信じたくない、だが。兄が何時に家を出て行ったのかもわからない以上、今から追いかけて間に合うのか。いや、そもそも彼は一体どこに出て行ったというのだ? 「と、とりあえず……」  パニック寸前の頭で、ようやく俺が絞り出した結論は一つだった。 「め、飯、食うか……せっかく、兄貴が用意してくれたんだし。あ、あと、布団畳んでおこう。後で叱られる……」  人間、パニック状態で考えられることなどそう多くはないものなのである。
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