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パッと常夜灯の灯りがついた。その淡い光を元に、隣で眠る友を見る。
彼はぐっすりと眠ってはいるが、眉間に皺が寄っている。おそらく質の良い睡眠では無いのだろう。無理もない。僕も同じだ。
夜行バスでの旅は、まず疲労を感じることから始まるのだから。
睡眠についてだけ言えば、実は僕こそ最悪のコンディションだ。昨日は楽しみにし過ぎて3時から5時の間しか眠れず、バスの中では2時から4時の間、少しウトウトしただけである。
残りはずっと、スマホで天気予報と今日歩くコースの最終調整を行っていたのだ。
そして気がつけば、いや、次第に窓の外が明るくなっていき、夜が明けた。
長い旅路であった。
できることなら家に帰ってシャワーを浴びて、ベッドに横になりたい。もちろん、目覚ましはかけずに。
しかし、その希望を吸い取ったかのように、バスの蛍光灯がついた。
「おはようございます。まもなく、大正池でございます。」
そのアナウンスで僕は左を見た。カーテンの隙間から、靄のかかった大正池が覗く。それは僕がネットで見て楽しみにしていた景色を超えて神秘的だった。
しかし、僕たちはここでは降りない。僕たちが降りるのは、上高地バスターミナル。公共交通機関で行ける、最終地点である。
上高地の地形は独特で、このバスターミナルから川沿いに南西へ進むと、先ほど通過した大正池が見えてくる。そして、北東へと進むと明神池が見えてくる。ただし、後者の池へ向かうには、己の脚で向かい、帰ってくるほかない。
僕たちの計画は無謀にも、このバスターミナルを拠点として大正池へ向かった後、明神池へも向かう算段である。
一泊でもすれば随分と余裕のある散策なのだろうが、なにしろ僕たちにはそんなお金はまだない。そのため、15時30分発のバスに乗って帰る。だから無謀と形容したのだ。散策ではなく、むしろ苦行の一種だと言えよう。
そんなことを考えていると、目的地へ到着した。先ほどよりは皺が浅くなっている友の肩を揺する。
「着いたよ〜。」
「おお、ほんとけ。」
彼の訛りは同級生の中でも群を抜いて凄い。彼と話していると、ついついつられてしまう。
「早いな〜。全然寝れんかったわ。」
彼が不満を口にする。
「ほやって。」
ほら、言った通り。僕は彼につられた。しかし、別に面接をしているわけではないし、久々の同級生との会話くらい、訛ってもいいだろうと僕は開き直った。
「はよ行こっせ。準備しねま。」
一つ注意だが、「死ね」と言っているわけではない。準備してね、という意味だ。
僕は深夜テンションでウキウキで、彼は寝起きで寝ぼけ眼を擦りながらバスを降りる。
そして僕たちは眼前の景色に息を呑んだ。
いや、呑んだのは息だけではない。空気もたんまりと飲み込んだ。日常の都会では味わうことのできない、新鮮な空気が疲れた心と体の隅々まで行き渡り、癒してくれる。
時刻は5時20分。まだ人は少なく、静かな音が、ここ、上高地を包んでいる。
僕たちはトイレを済ませた後、すぐさま河童橋へと向かうことにした。河童橋はバスタから徒歩10分ほどで、まだ人もまばらであるだろうから、食堂が開く6時までの間の時間潰しとしてちょうどよいだろうと予想したからだ。
整備されている道からも河童橋へは行けるのだが、少し林道を行くと川があるらしいので、歩きづらいが林道を選んだ。
ビビリな僕は、用意周到に熊鈴と熊撃退スプレーを購入していた。そしてもちろんそれを装備する。リュックに鈴をつけ、左手に熊スプレーを構えて歩き出す。
地図通り、少し行くと川のせせらぎが聴こえてきた。
僕は小走りになって、一目散へと川へ向かう。そして、深夜テンションで叫ぶ。
「ヤバいって、マジで。ガチきれい。えっぐいわ。」
友人は呆れ顔で、こちらへ向かってくる。しかし、その澄ました顔も、上高地という大自然には敵わず、口角が上がった。
「おお。こりゃ綺麗やな。」
ちょうど川に靄がかかり、神秘的な景色になっていた。
その後、僕たちは川沿いを進んで河童橋に到着したが、そこでもまた感動することになった。河童橋から望む穂高連峰はなんとも形容し難い美しさと荘厳さを孕み、僕たちの心に自然の本質を直接的に訴えかけているようだった。
しばらくその景色に見惚れ、一度橋を渡ろうかと振り返った際、またも心を揺さぶられた。なぜなら、僕目の焦点は、悠然と聳える焼岳に吸い寄せられたからである。
この両者に挟まれては、もう観念するほかない。僕はそれらに魅了され、動くことができないでいた。その拘束を解いてくれたのは、友人の一言だった。
「綺麗やねぇ。」
ハッと息をして、拙い声で返す。
「そうやねぇ。」
僕たちはしばらく両山を眺めた後、橋を渡って河原に降りた。エメラルドグリーンの川は、とても澄んでいて、浄化されていく。これは決して過言ではない。三途の川もこんな風にだったら死ぬのも悪くないのになぁ、と少し思ってみたりもした。
その川の水を掬うと、とても冷たく、最近の暑さで爛れていた心身が潤っていくのを感じる。静かに口に運ぶと、想像通りの澄んだ味がした。これぞ山の水であると主張してくるのである。
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