【そうだ、上高地へ行こう】

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活動し始めるのが早かったからか、バスタに着いたのはまだ9時手前だった。 僕は上高地が楽しみ過ぎて、事前にネットで調べているうちに、「河童のひるめし弁当」というものを見つけて前もって電話で予約していた。しかし受け取り時刻を11時と告げていたので、9時ではあまりにも早すぎる。しかし、明神池は往復で二時間以上はかかるので、明神池に行った後では受け取りが12時くらいになってしまう。 とりあえず疲れ果てている友人をベンチで寝かせた後、いろいろと思索しているうちに、気づけば9時になった。そのため、一旦予約した際の電話番号へかけてみようと思った矢先、「河童のひるめし弁当」と書かれた旗が掲げられている売店を見つけたので尋ねた。すると、もう受け取れると言ってくれたので、その場で受け取ることにした。店員さんの優しさと融通を利かせてくれた対応に感謝しながらベンチに戻ると、ぐっすりと眠った跡のついた友人を起こし、弁当を受け取った旨を告げる。 「え、まじか。早いんやなぁ。」 ぼんやりとした目で、緩く呟いた。 そして軽く一休みした後、僕たちは意を決して明神池へと歩き出した。左手に河童のひるめしという希望を携えて。 と、進んだのも束の間、弁当を持ちながら歩くのは大変だし、お腹も空いたから、食べちゃおうと意見を揃え、森に入ってすぐの所にあるベンチで弁当を開いていた。食欲に完敗したのだ。いや、この綺麗な景色に”乾杯”したのだ。弁当にはおにぎりが二つと、山賊焼、鮭の切り身に加え、煮物など、疲れ果てた体に優しい料理が並んでおり、もちろんどれも非常に美味であった。僕たちは長い距離を歩いた分、かなりのエネルギーを消費していたようで、瞬く間に弁当を完食していた。そして、希望と気力を取り戻した僕たちは先ほどとは打って変わって、力強く上高地の大地を踏みしめて明神池へと向かっていった。 明神池へと向かう際、またしても河童橋を渡って対岸を行くルートを選んだ。なぜなら、こちらの方が道が険しいので、体力のあるうちに行ってしまいたいと考えたからだ。そして本日三度目の河童橋だったが、今までとは大きく異なり、厚い雲が気怠げに穂高連峰に覆い被さっていた。もちろん、これはこれで素晴らしく、雲の厚さは穂高連峰の重厚感を助長しており新たな神秘的な側面を見ることができた。ただ、大気中を蠢く雲の音に、少しだけ胸騒ぎがした。 少し立ち止まった後に歩き出した僕たちは、10分ほど行った所で、再び湿原に出会った。これは岳沢湿原というもので、正直な所、先ほどの田代湿原の方が青空も相まって感動した。しかし、少し歩いて岳沢湿原の魅力は他にあることに気づかされた。それは、湿地帯全体として見ると現れてくる。今まで見てきた瞬間的に理解できる自然の美しさとは別種で、自然の生々しさから表れ、五感で緩やかに感じることができる美しさであった。 僕たちはその美しさに浸りながらも湿原を抜け、そこからさらに50分歩き続けた。この間、思ったより人が少なかったので、左手にスプレーを常時準備していたものの、幸いなことにそれは杞憂に終わった。そして本日のお目当ての一つ、明神池へ到着した。 正直な所、僕の足は限界で、明神池がすぐそこにあるのだという期待だけが原動力であった。そしてすぐに明神池への参拝料を払い、一之池から順に拝む。こちらは薄い池に伸びた桟橋に賽銭箱と赤い舟が静かに佇んでいる、神秘的な池である。ちょうど小雨が降る曇りであったため、背後に聳え立つ壮大な山を雲が厚く覆い、神秘的を優に通り越して、神降地という名の通り、いつ神が現れてきても不思議ではないほどだった。 そしてその神秘性を噛み締めた後、ニ之池へ向かう。正直、こちらは付随品ぐらいだろうとあまり期待していなかった。しかし写真で見るものとは大きく異なっており、度肝を抜かれた。一之池と同様に雲に覆われた荘厳な山々に囲われて、苔むした岩と枯れ気味の木々が無造作かつ調和的に並べられた様は、どこか人為的な庭園が感じられ、これが自然に創り出されたとはとても想像できない。そしてさらに、さらさらと降る細く優しい雨は、雪のようにも感じられ、侘しさを演出していた。 友人はこちらの方をより気に入っていたが、同感である。もしこれを創ったのが神ならば、白い衣に身を包んだ老人の姿が想像に難くない。というか、そうであってほしい。
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