第1話 孤狼

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 10年前  シンゲツ家の屋敷  夜にフスマを開けてはならぬ。  隠されているものを覗き見ようとしてはならぬ。 「だめ!」  まだ何も知らない5(さい)の自分の背中を見つめながら、恐ろしい禁忌(きんき)を犯させまいとして彼女は必死に(うった)えた。 「見ないで!」  何度も振り絞る願いはしかし届かない。  変わらない過去なのだから当たり前だ。  (わず)かな隙間から響く音の正体が気になって仕方ない。誰かが苦しんで泣くような(かん)高い悲鳴ともうひとつだ。大きな動物か何かが吠え立てるような鳴き声だろうか。震える小さな手が伸びてフスマの引手に()てがわれた。 「見たくない!!」  魂の拒絶(きょぜつ)(むな)しく彼女は見てしまう。  そこは部屋などでなく知らない生物の巣穴。  そこで激しくのたうち回って(もつ)れ合っていた存在は、無数の蚯蚓(みみず)(たば)になっているような異形の軟体ふたつ。どちらも生理的嫌悪感を呼ぶ(みにく)さなれど個体差があり、(しわ)の多い前者が(おす)(つや)のある後者は(めす)だと理解できた。  なぜソレが理解できるのか疑問を抱いているうちに、バケモノの皮膚が蠢いて人間の顔を浮かび上がらせる。  雄の顔は父。(よわい)72になる、祖父(そふ)のような実親(じっしん)。  そして雌のほうは少女。つまり、自分そのもの。  いくら悔やんだとて消せない光景を脳裏に刻み付け、隙間の前で座り込む少女は泣きながら尿失禁していた。  現在  同所  飛び起きたキサラギはすぐさま布団(フトン)を確認する。 「やってない」  胸を撫でおろすも(つか)の間、尿意が彼女の膀胱(ぼうこう)を刺す。 「うおやっべトイレっ」  足早に自室を出たところ、下階の騒がしさに気づく。 「ゴラー! 遅すぎんぞォ絶対うんこだろテメー」 「あなや! 大きな声で恥ずかしゅうございます」 「焦らない焦らない〜ひと休みひと休みだよぉ〜」 「どんだけノンビリしてんだってのバカぁーっ!」 「ぐああ漏らしたら訴えて勝つんだな正々堂々!」 「ふんふ〜ん♪ まいにちイカリング〜じゃい♪」 「こんな時にオシッコ転移(ワープ)(じゅつ)があればいいのに」 「ガマンしないで出しちゃえば楽になるでやんす」 「おきばりやす〜ってやっぱりキバっちゃダメ〜」 「罪人には排泄の権利さえも与えられてないーの」  最悪の朝に最悪を上塗りする混沌(こんとん)のやり取りが続き、キサラギは徐々にゲンナリとした面持ちとなっていく。 『全員そろえておきましたぜェ』  ドウジマの発言どおりシンゲツ組のテラーズが集い、かしましさで屋敷を支配して強面(コワモテ)男もタジタジらしい。 「トイレ()くまで待てないよぉ」  キサラギは素早く私服(ワンピ)に着替えて運動(ぐつ)()く。
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