魔女の言葉にのせられて、綻ぶように恋が始まる。

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   私がいるここはディアトーラ領主館。『領主』とは呼ぶが、ディアトーラという小さな国の元首である。  理由はディアトーラに隣接するときわの森に魔女が棲んでいたことに由来する。その魔女がディアトーラの本来の王であるとか、魔女という存在を作り出した名前も知らぬ王様が本来の国王であるとか。  だけど、私達が知る唯一の魔女は、ルタ様だけである。  ルタ様が魔女であった頃は『ラルー様』と呼ばれ、癖のある髪は長く紫の色をしていて、瞳はそのときわの森と同じ深い緑の色をしていたらしい。  しかし、今のルタ様は、黒髪に黒い瞳を持つ領主跡目のルディ様の奥様。  ルタ様はとても綺麗。そして、彼女の前に立てば、その容姿に嫉妬することすら憚られるほどの清浄さすら感じられる。  そんな彼女といる調剤室には今、清涼感とも刺激臭とも言える臭いが立ちこめていた。胃腸炎を治す薬を作っているのだ。私は布で口を覆いながら、お腹に良いとされるハーブ類を煮込んでは搾るという作業を繰り返していた。最近はこの薬ばかりを作っている。きっとマナ河の向こうにあるリディアスの薬問屋からの注文だろう、とは思う。  リディアスは大きな国だから、一度の注文数が多いのだ。  ルタ様はそんな私の傍につき、薬の状態と色を見ている。きっと、そろそろ。 「クミィ、そろそろガーゼにとって絞りましょうか」 煮込まれてきた汁の色合いを見たルタ様が、穏やかに私に伝える。予想が当たり、自然と微笑んでしまう。 「はい、ルタ様」 大きなお椀にガーゼを被せ、煮込んだ深い緑色の汁を濾す。 「気を付けるのよ」 だけど全く嫌な気はしない。 ルタ様は私が火傷をしないことを知っている。だから、私も「はい」と素直に返事をして、熱いガーゼに気を付けながら、挟んだお箸を捻り始めるのだ。 顔を見なくてもルタ様の表情は分かった。 上手に出来ていると、優しく微笑んでくださっている。  汁を切った後にお鍋に移し、搾った汁と一緒に、もう一度煮込む。 「ルタ様、そろそろでしょうか?」 「そうね。もう汁気を飛ばしても良いかもしれませんね」 火に掛けたお鍋を焦げ付かせないように、今度はしゃもじで混ぜ続けると、緑色の粘土質に変わってくる。そこまで手を止められない。 「ここはクミィに任せて大丈夫ですね」 一瞬言葉を呑んだようなルタ様だったが、すぐに「よろしくお願いしますね」と優しい微笑みを私にくれた。 「はい」 汁気を飛ばすのには時間がかかる。だから、ルタ様は領主館の者としての仕事をされに行くのだ。  ルタ様の薬は、ディアトーラの財政を助けているとも言われるほど。  旦那様であるルディ様は懐の広いお方なので、魔女だ人間だなんて気になさらないのだろうけど、その父親である領主様が認めたこと、今では誰もが当たり前のようにして過ごしていることは、本来なら考えられないことである。  だから、そんなおふたりは、私の憧れだった。  私もルタ様みたいになりたくて、薬作りを始めた。  ルタ様みたいになって、ルディ様みたいな人と結婚する。  だけど、胸の奥が疼くようになったのは、あの日から。  子どもの頃、青く碧に輝くその瞳を、魔女の目とからかわれていた幼馴染みが、急に大きく見えた日。  彼もルタ様に憧れている。  みんながからかっていたテオの瞳を私だけが綺麗だと思っていたのに、……。  今は誰もからかわないし、テオの瞳が綺麗だという者すらいる。  同じように「あのおふたりは本当に素敵」だと肯き合ったことさえ幾度もある。  ルタ様は凜々しく嫋やか。ルディ様は優しく穏やか。  誰が見てもお似合いの夫婦で、付け入る隙などひとつもないことも知っている。  だけど気になってしまう。  テオは、私が思う憧れの『好き』とは違ったりするのだろうか……。  緑色の丸薬を乾燥棚に入れて、今日の薬作りはお終い。ルタ様へ挨拶をした私は、そのまま帰路へ付いた。  領主館帰りの私は、薬品臭い。家にいるニワトリも寄ってこなくなるくらい。
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