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1話 猛毒のいちご味
「ちょっとおじいちゃん!!私聞いてないよ!」
朝早くから高梨製作所の事務所内に、高梨ちよりの声が響き渡った。
「だって今初めて言ったもん。」
ちよりの祖父、高梨 修二郎は悪びれもせずにそう言いながら、手に持った新聞をパラパラとめくっている。
「もんじゃないよ、もんじゃ!今日から新しく人が入るって、何でそんな大事な話今するのよ…」
怒りに震える拳を握り締めながら修二郎に詰め寄るちよりを、作業着を着た大男が制止した。
「ちよ、落ち着いて」
身長185センチの筋肉質な体は、サッとちよりと修二郎の間に割って入った。幼馴染の真山 源人に冷静な態度でそう言われてしまうと、怒髪天を衝く形相になっていたちよりも些か大人しくなる他ないのである。
「社長、うちは今十分人が足りてるじゃないですか」
そう言った彼も落ち着いて話しているように見せてはいたが、実際は大層困惑していた。
◇
金属製品を製造している高梨製作所は、修二郎の代で三代目となる。
社長の修二郎は腕利きの職人でもあり、この業界ではちょっとした有名人だ。そんな修二郎に憧れて高校卒業と共に弟子入りした真山と、経理を担当する孫のちより。
以上3人。たった3人。
高梨製作所の全従業員である。小規模企業の中でも本当に小規模なこの会社に、当然人を雇う余裕なんてないのだ。
「いや、雇うわけじゃないよ。勉強に来るの」
「勉強?」ちよりは祖父の言葉に怪訝そうな顔をする。
「そう、勉強。亜細亜精工ってあるだろ?あそこの坊が今日から半年間ここに勉強に来るんだよ」
「亜細亜精工?なんであんな大きい会社の人が高梨製作所に?」
亜細亜精工はこの県有数の大手企業だ。自動車や機械部品の製造を主要事業としていて、高梨製作所の得意先でもある。
「じいちゃんあそこの会長と友達なんだよ。で、その孫が中々優秀な子でなぁ。もっと色々経験積ませてやりたいんだってよ。」
「おじいちゃんの技術は確かに凄いけど、うちがそんな大企業の人に教えられることなんてあるの?」
訝しげな表情を浮かべるちよりに、
「ちよ、社長の仕事は一流だから」と語気を強めて真山が言うものだから、これ以上この話をしても埒が明かないことを彼女は悟った。2対1の構図で勝ち目がないことは目に見えている。
「もう分かったよ。とりあえず表掃いてくる。」
そう言ってちよりは、箒と塵取りを強引に掴むと、入り口の方へと大股で進んで行った。
ードン
事務所の扉を開けたちよりに大きな衝撃が走る。視界は真っ暗闇に包まれ、5秒ほどの間を置き、初めて何かにぶつかったのだということに気がついた。
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