4話 スナックきみこ

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4話 スナックきみこ

「あんた、童貞だろ」 濁声(ダミごえ)のきみこの声が店内に鋭く通り、場は静まり返った。 ◇ 平日の21時。 高梨製作所(たかなしせいさくじょ)から徒歩10分程の位置に、スナックきみこは店を構えていた。 6坪の小さな店内にカウター席のみというシンプルな作りに、短髪で派手な化粧を施したママのきみこは存在感を持て余している様に見える。 今日は高梨製作所の親睦会を兼ねた食事会の後、このスナックきみこに従業員一同で押しかけていたのだ。 4人がカウンター席に座ると、店内はほぼ満席になった。幸いこの日の客入りはだったようで、ちより達の来店にきみこは大層喜んだ。 「修二郎(しゅうじろう)ちゃん!久しぶりじゃないか、元気にしてたかい?ちより、あんたはちょっと見ない間に随分と艶っぽくなったねぇ。源人(げんと)は相変わらずムスっとしてるけどいい男だ。…あらやだ、めちゃくちゃ綺麗な子がいるじゃないか!アタシのタイプだ、今から2人で店抜け出そうか?」 どこで息継ぎをしているのか不安になるぐらいの勢いで捲したてるきみこに、一同は圧倒された。 「きみちゃん、こいつは今うちに勉強に来てる千晃(ちあき)くん。そんでこいつはちよりの婚約者なんだ。手ぇ出さねぇでもらえるか」と言いながら、修二郎は指宿(いぶすき)の肩を叩いた。 「(まぁた)あんた、あんなボロの工場に勉強に来るってモノ好きだねぇ。」そう言いながらきみこは、頼んでもいない焼酎の水割りを4つ作り始めた。 「ちよりが艶っぽくなったのも納得だよ」 「あの、きみこさん。私烏龍茶でお願いしたいんですけど…」「あ、俺もオレンジジュースで」 ちよりと真山(まやま)の決死のアピールも虚しく、きみこは4人の前にダンダンダンダンと焼酎のグラスを置いていった。 「アタシからのサービスだよ。飲みな。」 時代とかコンプライアンスとかハラスメントとか、そういった時流の新しい概念がこの店には通用しなかった。郷に入っては郷に従えがこの店のスタンスである。 下戸のちよりと真山は目の前に置かれた明らかに濃ゆそうな焼酎を前に、ゆっくりと覚悟を決めようとしていた。 「ちより、源人。無理するな、じいちゃんに任せろ」 そう言うと修二郎は2人のグラスを自分の目の前まで手繰り寄せると、なみなみと入っていたものは次々と彼の喉の奥に消えていった。 その横で指宿は美味しそうに焼酎をチビチビと呑みながら「今まで飲んだ焼酎で1番美味しいです!きみこさんが入れてくれたから、特別に美味しいんですかねぇ」と人タラシ全開でリップサービスを発動していた。最早病気なんじゃないかとちよりは冷めた目でそれを見やる。 「婚約者の隣で他の女口説くなんて、まだまだ青いね」 きみこは早くも酔い潰れた修二郎の前にピッチャーのお冷をドカン、と置くと指宿の目をじぃっと見て「あんた、童貞だろ」と鋭く言い放った。
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