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夜。風呂から上がり髪を乾かしながら、ゆっくりと1日を振り返る。いつも通り淡々と過ごしていたつもりではいたが、今日のちよりは完全に上の空だった。
指宿のことが気にならないと言ったら嘘になる。正直ずっと指宿のこと、コナツという人物のこと、2人の関係性、なんで指宿が仕事を休んでまでそこに向かったのか、果たして本当にコナツの所へ行ったのか、ありとあらゆる事が脳内を占拠して離れなかった。なんでこんな事を考えるのに時間を費やしているんだと自分の儘ならなさに呆れる。
こんな日は早く寝てしまおう、と中途半端に乾いた髪もそのままに、布団に潜り込んだ。
ーガチャガチャ、バタン
玄関の方で音がする。恐らく指宿だ。
ちよりは抜き足差し足で玄関の方へと向かった。
「遅かったですね。」
薄暗い玄関で靴を脱ぐ指宿に、ちよりはぼそっと声をかけた。
「うわあぁぁ!…なんだちよりちゃんかぁ。脅かさないでよ。」
指宿は大袈裟に驚いていたが、よく見ると腰を抜かしていたので、本当に驚いていたのだろう。
「鍵、どうしたんですか」
「あ、これね。帰り遅くなるって言ったら社長が貸してくれたの。助かったよ。」
そう言いながら指宿は鍵に付いているキーホルダーのボールチェーンに指を通すと、クルクルと回してみせた。
「ふーん。で、会えたんですか?」
「ん?」
「おじいちゃん言ってました。愛する者の為に走って行ったって。会えたんですか愛する人に」
「うん、会えたよ。」と何かを思い出したかのように優しい顔をして嬉しそうに答える指宿に、ちよりの黒い感情は止まらなかった。
「愛する人って否定はしないんですね」
「まぁね、超愛しちゃってるからね。」
「それって…コナツさん?」
ちよりの口から出た名前に、指宿は驚きを隠せない。
「え、なんで小夏のこと知ってんの?社長に名前言ったっけな…」
指宿の口から改めて発せられる"コナツ”という名前に、心臓がきゅっと痛くなるのを感じた。心のどこかで自分の勘違いであればいいのに、と思っていた気持ちが、全部覆され嫌な方向に肯定されていく。小さく、そして静かな絶望だった。
「違います。昨日、私とコナツさんを間違えてました」
「ちよりちゃんと小夏を!?」
どういう意味だろう、と考える素振りを見せる指宿は、続くちよりの言葉に耳を疑った。
「はい。間違えて襲われそうになりした。」
「ちょっと待ってちょっと待って!俺が?ちよりちゃんを襲った?」
冷静に話を整理しようとするが、元来持ち合わせた冷静さも吹っ飛ぶほどのちよりの発言は、指宿の脳髄を撃ち抜いた。
「酔った指宿さんをきみこさんのところから連れて帰ってきたら押し倒されて…指宿さん、ずっとコナツさんの名前呼んでましたよ。」
「マジで何してんの、俺…。押し倒しただけ?他は何もしてない?」
自分の失態とちよりが不機嫌だった理由が繋がって、彼女の両肩を思わずがっしり掴んでしまった。今、この手を離してはいけない気がしたのだ。
「…耳とか首とかにキスされて、脇腹を撫でられながら好きって言われました。」
「…本当にごめんなさい」と言いながら、指宿は頭を抱えて蹲った。
その様子を見下ろしながら、ちよりは冷めた目で言葉を吐き捨てるようにぶつける。
「好きな人がいるなら、優しくしないで欲しかったし、思わせぶりな事言わないで欲しかったです。」
ちよりの言葉を聞いて、指宿はバッと顔を上げる。
「いや、好きな人って…」
「今日一日中、指宿さんとコナツさんのことが頭から離れなくてモヤモヤしちゃって。仕事も上の空だし。髪の毛すら上手く乾かせなくて。」
「ちよりちゃん、それ…」
「下心しかないし、女好きでチャラチャラしてるし、隙あらばエロい空気に持って行こうとするし。でも貴方がいないと会社も家もなんか静かで寂しいし。居なくて清々するはずなのに妙に落ち着かないし…」
「ちよりちゃん、ちょっと待って!ちよりちゃんさぁ、俺のこと好きでしょ?」
指宿は少し困った顔で笑いながらちよりに問う。
「ちがうもん!」と言いながら泣きそうになる顔を見られないように指宿から背けてちよりは言った。
「もんって…。いや、俺のこと好きで小夏にヤキモチ焼いてんでしょ。」
指宿は立ち上がると、背けた顔を隠すように添えたちよりの腕を掴んで外側に開いていく。
「違う、思い上がんないで!離して!」
「ちよりちゃん、小夏はさぁ。」
指宿はちよりの顎を掴み、自分の方へ向かせると、じぃっとその瞳を見つめ言葉を続けた。
「俺の飼ってる犬。ポメラニアンの雌、12歳。」
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