薬の女官

3/8
前へ
/8ページ
次へ
 そして、迎えた新しい年――。  宮殿では、夜明け前から様々な儀式が執り行われる。  まだ星空が広がる時刻、東の庭を訪れた帝は、天地四方の神々や先祖の御霊を遙拝し、その年の諒国の幸いを祈った。そして、後宮にある居室へ戻ると、尚薬から捧持された屠蘇を口にした。帝のもとにやって来た尚薬は、いつもの媼であった。  格別苦く思える今年の屠蘇を、しきたりどおりに何度も飲み込みながら帝は考えた。 (はて、昨年と何も変わっておらぬではないか? この後、尚薬は、東宮の元へも屠蘇を運ぶのだろう。内薬司め、いったいどんな工夫をしたというのか――)  帝は、好奇の思いを抱きながら、去りゆく尚薬を見送った。  一方、東宮はといえば、悪鬼神でも迎え撃つかのような形相で、尚薬の到着を居室で待っていた。付き添う女官たちは、震えを押さえながら部屋の隅に控えていた。  やがて、尚薬の訪れを知らせる鈴が鳴り、静かに居室の扉が開かれた。  屠蘇器を載せた盆を捧げ持って入ってきたのは、いつもの尚薬の媼ではなかった。  東宮と同じような年恰好の童女であった。  薬司の衣服をまとってはいるが、いかにも幼げで、重たい盆を必死で支えていた。 「皇子さま、あけましておめでとうございます。元日の屠蘇をご用意いたしました。無病息災を願い、どうぞお召し上がりくださいませ」  そう言うと、童女は捧げ持っていた盆を置き、うつむいていた顔を上げた。  東宮は、一瞬息が止まりそうになった。  たいそう美しいものが、目の前にちょこんとひざまずいていた。  少し日に焼けているが、蒸した卵のようにつるりとした形の良い顔。大きな黒い瞳を縁取る長い睫。小ぶりで収まりの良い鼻。そして、今さっき摘んできたばかりの桜桃の実のような赤い唇――。  肩口で切りそろえられた黒髪は、差し込み始めた朝日に艶やかにきらめいていた。 「銚子(ちょうし)より、盃にお注ぎしますので、三度に分けてお飲みください」  まさに鈴を転がすような愛らしい声で、幼い薬司はそう言うと、一番上の盃を手に取り東宮に差し出した。  薬司は、銚子を両手で持ち、少しずつ屠蘇を盃に注いだ。注ぎ終わると、「どうぞ」と言うように微笑み東宮を見上げた。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10人が本棚に入れています
本棚に追加