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「わたしが病に罹れば、薬を持ってフジナが来てくれるのだろうか?」
ともに庭を歩いていた女官に、東宮がぽつりと言った。
今は、二月――。年が変わってひと月が過ぎ、新年の儀式もみな終わった。
しかし、東宮の時は、フジナと別れた正月の三日で止まっていた。
東宮とはいえ、今年ようやく六歳になる幼子ゆえ、特別な仕事があるわけでもない。
退屈した東宮の頭に浮かぶのは、決まってフジナの愛らしい笑顔であった。
そのあげく、前述のようなつまらぬ質問をして、付き従う女官を困らせた。
たいていの女官は、東宮の問いかけに「さあ、どうでございましょう?」などと、曖昧な返事をして話題を変えるのだが、その日の女官は、ちょっと違っていた。
「ある薬司にきいたのですが、フジナは、普段は後宮にはいないようです。来年の正月になって、皇子さまがご無事に生きていらしたら、また屠蘇を捧持に来ると言って、迎えに来た女とどこぞへ去って行ったそうです」
「フジナは、薬司ではないのか?」
「あんな子どもが、薬司になれるわけがありません。おそらく、典薬寮のどなたかの娘が、皇子さまが駄々をこねずに屠蘇を飲むよう、薬司の役割を任されたのでしょう。東宮というお立場上、幼い者に笑われるようなことはなさりたくないですものね?」
少々不躾だが元気の良い女官は、あけすけにそう言うと、「ホホホッ」と声に出して笑い、梅の木の根方に咲いていた藤菜の花を一輪摘んだ。
そして、東宮の上着の襟元にそれを挿し、「藤菜の花が良くお似合いですよ」と言った。このとき東宮は、幼い胸の内で一つの誓いを立てた。
(一年を健やかに過ごし、無事に新しい年を迎えることができれば、再びフジナに会えるということか? ならば、今日よりは、好き嫌いせず何でも食べ、病や怪我に負けぬよう身も心もしっかり鍛え、よく眠り体を整えることに努めよう! フジナの屠蘇のおかげで、良き一年が過ごせたと、来年の正月に伝えねばならん!)
東宮は帝に頼み、翌日から後宮の片隅で、学問や武芸の稽古に励むようになった。
相手をするのは、妃や皇女たちに仕える女官たちだったが、いずれも優れた知識や技倆の持ち主であった。
東宮は、その一年、熱を出すことも手足をすりむくこともなく、驚くほど達者に過ごし、新しい年を迎えたのだった。そして、元日の朝には、約束どおりフジナがやってきた。
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