薬の女官

6/8
前へ
/8ページ
次へ
 その後も東宮は、薬の世話になることなく健やかな成長を続けた。  毎年正月になると、フジナは、屠蘇器を載せた盆を捧げて東宮の元を訪れた。彼女が少しずつ大人びていくのを、まぶしさを覚えながら東宮は見つめていた。  三年もたつ頃には、東宮はすっかり屠蘇の苦みにも慣れ、屠蘇を飲んだ後、フジナとゆっくり語らうことができるようになった。彼女は、東宮よりも一つ年上であること、実は、典薬寮に収める薬種を育てる薬草園の娘であることなどがわかった。  六年が過ぎる頃には、東宮とフジナは、後宮の庭に積もった雪で遊んだり、火桶を囲んで書を読んだりするようになった。正月の儀式が控えており、けっして長い時間はとれなかったが、東宮にとっては、一年の中で最も心弾むひとときであった。  フジナが去った後は、言い知れぬ寂しさに襲われることもあったが、一年を元気に過ごし、来年もまたフジナの屠蘇を飲もうと、己を勇気づけて東宮は日々を過ごした。  そうして、十年の歳月が流れた――。  東宮は、次の春には十五になり成人する。後宮を出て、宮殿の一画にある東宮の住まいに移り、いずれは妃を迎えることが決まっている。  後宮で屠蘇を捧持されるのは、今年が最後だった。  その年の元日の朝、いつものようにフジナはやってきた。 「ど、どうしたのだ、フジナ!? な、なぜ髪型を変えた!?」  女官たちと同じように長い髪を結い上げ、簪や櫛で飾ったフジナが、東宮の前に立っていた。裾を気にしながらゆっくりとひざまずいたフジナは、東宮の問いには答えず、いつもの新年のあいさつを述べた。 「皇子さま、あけましておめでとうございます。元日の屠蘇をご用意いたしました。無病息災を願い、どうぞお召し上がりくださいませ」  その後も、二人は黙って盃をやりとりし、いつものように東宮は屠蘇を飲み終えた。  ほかのことに心を囚われていたので、屠蘇の苦みが気になることはいっさいなかった。  屠蘇器を片付け終わると、フジナは、深くうつむき東宮から目を逸らして話を始めた。 「皇子さま、わたくしは昨年成人し、このように髪を上げるようになりました。ここでの務めは、皇子さまが成人するまでという約束でしたので、今年が最後になります。十年前、内薬司さまに命じられたお役目を無事に果たすことができまして、わたくしは今とても幸せでございます。あと二日間、どうぞよろしくお願いいたします」 「フジナ……」  軽々と盆を持ち上げ部屋を出て行くフジナの後ろ姿は、見惚れるほどに優雅で、白いうなじは絹布のように滑らかだった。  初めてフジナに出会った日から、長い年月が経ったことを、東宮はあらためて思い知った。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10人が本棚に入れています
本棚に追加