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「ここに来るのは、十二年ぶりか」
わたしは海と陸の境目を歩く。海風がわたしの帽子を飛ばそうとするのを抑えながら。
わたしはどこに、いつ、どのくらい滞在したのかなどを克明に記録し、記憶している。これは身を護るためだ。
同じところに何度も行けば、いずれは警察に捕まってしまうだろう。罪を犯している以上、いつかはそうなるだろうが、その対策をしないのは阿呆のすることだ。
とはいえ、さすがに十年ほどおけば、人の記憶も薄くなるだろう。仮に当時に騙した相手がいたとしても、わたしには気づきまい。
そう思っていたのだが、それは甘かった。
「すいません」
不意に一人の男性に話しかけられた。わたしと同じ、二十代前半ぐらいに見える。
「なんでしょうか?」
海岸にはぽつぽつ人はいるが、周囲にはいなかった。わたしに話しかけれていることは明白だった。さすがに無視できず反応する。
「十年ほど前、あなたと出会っているのですが、覚えていますか?」
わたしは彼の顔を見て、やばい、と思った。わたしは彼のことを覚えていた。
これも身を護るための手段だ。騙した相手とその場にいた人などのことを記録し記憶しておくこと。間違っても街中で声をかけられたりしないようにするためだ。記憶していれば不意を突かれない限りは避けられる。
だが、今、不意を突かれてしまった。この人は、十二年前にこの地で騙した相手の孫だ。当時は小学四年生ぐらいだったはずだ。大きくなったが、人間の特徴はそうは変わらない。
内心では慌てるも、それを表に出したりはしない。わたしは詐欺師だ。そんなことは造作もない。というか、それができなければ廃業した方がいい。
「……初対面だと思うのですが。ナンパ、というやつですか?」
あくまでもしらばっくれる。そして、話の行く先を変える。知りません、だけでは、知っている知っていないの話が続いてしまうから。
「いえ、違います」
相手は明確に否定してくる。思わず舌打ちしそうになる。
「わたし、もう行きますね。人を待たせているので」
言いながら、歩を進めようとする。
しかし、彼はそれを許してはくれなかった。腕をつかまれた。
まあ、屈強な男でもなければ、わたしはどうとでもできる。これでも護身術は心得ているし、何度もそういう場面に対応してきた。女一人でこれを生業にしているのだから、それぐらいできて当然だ。
でも、その腕をすぐに解こうとは思わなかった。彼の手が震えていたからだ。わたしをどうにかしたい、という感情での行動ではない。
「……離してもらえますか?」
やんわり告げる。しかし、彼は離さない。代わりに言葉を向けてきた。
「この際、ナンパでもいいです。だから、僕の話を聞いてくれませんか?」
ナンパでもいい……ということはナンパじゃないってことだ。でも、話は聞いて欲しい。それも詐欺をされた相手に。
警察に通報し、その間の時間稼ぎだろうか。その可能性も否定できない。だとすれば、この場をすぐに離れるべきだろう。
しかし、その可能性は低いだろう。そうする場合、声をかけることは愚策になる。わたしがどこかに車などでいなくならない限り、声をかけないで、動向を見守っておく方が正解だ。ましてや、この声のかけ方だと、逃げられる可能性が高くなる。
だとすると、本当に話を聞いて欲しいだけか?
思考がまとまらない。その隙を縫うように、彼はわたしの許可を得ずに話を始た。
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