第51話

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第51話

 話しているうちにフィルタだけになってしまった煙草を捨て、シドはまた一本咥えてオイルライターで火を点けた。あまりに話が大きくなりすぎて、まだ実感が湧いてこない。  敵の思惑が巨大すぎて一介の刑事には手段が悪だとしか思えなかった。実際に通貨発行権が民間運用されるのが悪いことなのかどうかすら、判断が付かないというのが本音である。  ただ思い出すのは腕をちぎられかけた男の水色の瞳と、クライヴの上げた血飛沫だけだ。  顔色を読んでハイファが宥めるように薄い微笑みをシドに向けた。ショルダーバッグから予備弾を出すとソファに置いていた愛銃を取り上げる。マガジンキャッチを押してダブルカーラムマガジンを手の中に落とし、減った分を装填しながら歌うように言った。 「通貨発行権を持つ民間銀行が自分たちの利のために、勝手な金融政策をして通貨発行量を左右するんだよ。そういう例は幾らでも過去にあった。だから権利を国家に取り上げられちゃったこともあるんだから」  銃にマガジンを叩き込みホルスタに仕舞うのを見てシドは訊く。 「それはそれで丸く収まったんじゃねぇのか?」 「ところが一度チカラを持った銀行は裏で糸を引いて、他国で戦争を起こした。すると負けた国の通貨が紙くず同然になる。または大量の資金調達のためにインフレにもなった。当時はゴールド本位制だったから、おカネとゴールドは同価値。それでゴールドを持っている民間銀行に国家は頭を下げざるを得なくなった。つまりはまた一部民間人の思うがまま」  ポーカーフェイスの眉間にシドはシワを寄せた。 「自分たちの利のために余所の国で戦争か。迷惑どころじゃ済まねぇ話だな、おい」 「今はゴールド本位制じゃないけど、一度通貨発行権っていうチカラを持った民間会社がどれだけ脅威か分かるでしょ? これは未来に渡って禍根を残しかねない大犯罪ってこと」 「なるほど。何としてでも【事実関係の解明と今後のニセクレジット横行の阻止】をしなきゃならねぇってことだな」 「そうだね。けど僕らはこの星では四面楚歌、難問かも」 「確かにな。惑星警察もシュレーダー・ディー・バンク社の隷下とみていい」 「警察も? じゃあもしかしてクライヴは……」  思い出して暗い色を湛えた若草色の瞳にシドは頷く。 「俺はそう思ってる。クライヴはシュレーダーの指令で消されたんだ」 「そっか。でもクライヴのお蔭で言質は取れて概要は送ってあるし、あとは今の話を別室戦略コンに送って、解析……して……」  唐突にハイファが身を傾がせた。慌ててシドはロウテーブル越しに支える。 「どうしたハイファ……ハイファ?」 「ん、シド……僕、何か変……頭がグラグラするよ」 「貧血じゃねぇのか?」  そう言いながらもシドはハイファが貧血などではないことを悟っていた。自分も僅かな眩暈を感じたのだ。思い当たるのはコーヒーしかない。 「ハイファ、飲料ディスペンサーだ!」 「まさか、薬……混ぜられた……?」 「ああ。いいからもう喋るな。薬が余計に回るぞ」  自分は並外れて薬物に強い体質、だが敵は状況的にかなり強力な薬を仕込んだと思われる。シドにもいつ効き始めるか分からない。それに『効く』のを待ち構えている奴らがいる筈だ。咄嗟に籠城戦も考えたが、あまりに危険すぎた。ここはシュレーダーの牙城なのだ。 「離脱するぞ、ハイファ。少しだけ我慢してくれ」  今にも頽れそうなハイファに執銃させる。上着を着せてベルトパウチにスペアマガジンを入れてやった。自分もホルスタを着けると右大腿部のバンドを締める。対衝撃ジャケットを羽織ると前を閉じ、ショルダーバッグを担いだ。着替えなどどうでもいいが予備弾が貴重だ。  リモータのマップで行き先を確かめると、ハイファに肩を貸して細い躰を担ぎ上げるようにしつつ玄関に移動する。靴を履いて素早くハイファにソフトキス。ハイファはまだ意識があった。微かに笑ったのを見て安堵し玄関をそっと出る。  出た途端に人がいて危うく抜き撃ちそうになったが、怪訝な顔をしたそれは出勤するサラリーマンだった。その男だけではない、廊下を続々とスーツ姿の企業戦士たちがエレベーターホールに向かっている。リモータを見ればもう七時過ぎ、これは却って幸いだった。  我らがリーマンに紛れてシドはハイファを担ぐように移動した。当然周囲からは不審げな顔をされたが今はそれどころではない。何とかエレベーターに二人分の身を押し込むと、二階下って三十五階のモノレールステーションに辿り着いた。  ステーションは相変わらずの大変な混み具合、押されて足を踏まれ突き飛ばされて挟まれながら、二回目にやってきたモノレールの車両内へ流れ込むことに成功する。  殺人的な通勤ラッシュの中で身に銃口を押し付けられて弾かれないよう細心の注意を払いたかったが、ハッキリいってそれどころではなかった。狙う者がいたとしても、たぶん向こうも無理だったに違いない。押し合って軽いハイファなどは足が浮いていたくらいだ。  三駅でSDB本社第五ビル、そこでかなりの人間が降りてシドは久々に酸素にありついた気がした。だが気を付けなければならないのはここからだ。  降りてタクシーにするかとも考えたが生身を晒す移動間が危ない。暫くはこれに乗っていようと決める。そこからまた三駅で乗り換えだ。  乗り継ぎは上手くいった。あと三駅で目的のビルである。  やがて目的の駅に辿り着く。八十二階建てヤマト第二ビルの三十二階ステーションにシドはハイファを引きずって降り立った。もう少し、自分の右手は空けておかなければならない。 「頼む、ハイファ、頑張ってくれ」 「ん……ごめ、ん」  ここにくるまでにまたリーマンが増えていた。流れに押されるようにエレベーターに乗る。上りだ。ここの六十一階がシドの目指すゴールだった。六十一階から最上階までをファサルートコーポレーション・フラナス支社が占めているのである。  何処もここも、マフィアまでが遠隔的ながらシュレーダー・ディー・バンク社に牛耳られているのだ、思いつくSDB圏外はFCしかなかった。  エレベーターは満員で、だがそこで動き出す前に警告音が鳴った。重量オーバーではない、センサ感知する条件に適合しない者がいるということで、それはシドに他ならなかった。 「くそう、バカにしやがって!」  迷惑そうな人々の目が一身に注がれたが構うことなく、シドは人を押し退け睨み退けながらエレベーター内のリモータチェッカにリードを差し込み、衆人環視の中、提示された全ての条件を別室コマンドでぶち破る策に出た。  本当ならばレールガン・マックスパワーで叩き壊したいくらいに腹が立っていた。  六十一階に辿り着いたが降りられなかった。満員御礼で動けなかった訳ではない。殺人的ラッシュに耐えてやってきたというのに、ここにきてシドとハイファを囲み、降りるのを遮るようにダークスーツの男たちが六人も立ちはだかっていたからだ。  敢えなくシドと殆ど意識を失くしたハイファは屋上へと連行された。  六十一階から同行してきた体格のいいダークスーツ六人は、隙のない身のこなしと鋭い目つきでシドたちを囲んでいる。喩えハイファがクスリにやられていなくても、これを突破するのは無理だったに違いない。  捕縛もされなかったがシドはここで暴れるより体力温存を選んだ。  雨の降る屋上には小型BELが待ち受けていた。  二人は武装解除されて一番後部の座席に押し込まれた。ダークスーツ六人はパイロット席とコ・パイ席、中間列に二人、シドとハイファの両側に二人と、綺麗に分散して乗り込む。すぐにテイクオフしてオートパイロットでの飛翔が始まった。 「何処につれて行く気だ?」 「少しでも長生きしたければ黙っていることだ」 「SDB会長の屋敷にでも行くのか? それとも人質つれて連邦直轄銀行支店で直談判か?」 「口の減らない男だな。薬は本当に飲んだのか?」  中間列に座った男が振り向いて答える。 「飲んだ筈だ、482ミリリットル減っていたからな。カップもふたつだ」 「おかしいな、あっちのミスか?」 「それはないと思うが」  よっぽど強力な睡眠薬だったのだろう、男たちは首を捻っていた。
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