第2話

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第2話

「やった! 八時二十九分四十九秒、今日こそは遅刻ナシだぜ」 「うーん、快挙かもね」  うんうんと頷き合う二人に地獄のゲートが軋んで開くような声が掛かる。 「シド、若宮(わかみや)志度(しど)巡査部長。ハイファス=ファサルート巡査長、前へ」 「何ですか課長、釣り上げて三日経ったダボハゼみたいな目ぇしてますよ」 「いいからきたまえ」  部下の毒舌に顔を引き攣らせながら、機動捜査課長エドワード=ヴィンティスは再度二人を呼んだ。上司は上司、シドとハイファは多機能デスクの前に進み出る。 「シド、どうして呼ばれたのか分かっているな?」 「久々の定時出勤、お褒め頂けて光栄です」 「そうじゃない! その『ツアー客』は何だと訊いているんだ!」 「不法入星二人にひったくりと痴漢の合計四名ですが何か?」  シドとハイファの間には捕縛用の樹脂製結束バンドで数珠繋ぎにされた被疑者たちがうなだれているのであった。男ばかり四名は一緒に走らされて肩で息をしている。 「シド。何故キミは毎朝一人でまともに出勤もできないのかね?」 「一人って……ハイファが見えないんですか?」 「そういう意味じゃない、イヴェントストライカとしての自覚が足らんと言っているのだ。頼むから出勤だけでもスカイチューブを利用して事件(イヴェント)遭遇(ストライク)率を下げる努力をだな――」  「ああ、はいはい。分かりましたよっと」  ポーカーフェイスで適当な返事をしつつ耳をかっぽじる部下を前にして、ヴィンティス課長は青い目に哀しげな色を湛えて多機能デスク上から茶色い薬瓶を手にした。  ザラザラと赤い増血剤を掌に盛りながらヴィンティス課長は言い募る。 「大体シド、キミは今週のウチの管内の事件発生数を知っているのかね?」 「そういうのはヒマな奴にカウントさせて下さい」 「知らないなら教えてやろう、キミのイヴェントストライク数と殆ど同じなのだよ」 「そうですか。でも検挙率も正比例している筈ですが」  哀しげに首を振りつつヴィンティス課長はもうひとつの薬瓶を手に取る。こちらの中身はクサい胃薬だ。刑事(デカ)部屋名物・通称泥水コーヒーで飲み下す。 「そういう問題じゃないのだ。全く、下手をすればホシより先に現着しているとはどうかしている」 「あー、俺は課長より忙しいんです、あとにして下さい、あとに」  勝手に話を切り上げるとシドは振り向いて背後のフロア内を見回した。デカ部屋は深夜番と在署番の引き継ぎなどで喧噪の真っ只中だ。その中から目敏くヒマそうな人員を見つける。 「ケヴィン警部、こっちのひったくりの取り調べ、ハイファの応援願います! ナカムラは痴漢の方、俺に付き合え!」  叫んでおいて不法入星者二人を引きずり地下への階段を降りた。不法入星は入星管理局の管轄、役人が来るまで暫し留置場でご休憩頂く。  痴漢は現行犯、取り調べはサラサラと済んでこちらも地下にご案内すると、シドはデカ部屋に戻って自分のデスクに着いた。脱いだジャケットを椅子に掛け、綿のシャツとコットンパンツというラフな姿になると、どっかり座ってまずは一服だ。    煙草を咥えオイルライターで火を点けていると、ひったくりの取り調べを終えたハイファも戻ってくる。両手に持っていた泥水の紙コップのひとつをシドのデスクに置いた。 「おっ、サンキュ。スパイは気が利くな」 「だからここで言わないでって何度言えば分かるのサ」  じつはハイファが軍人で別室員というのは軍機、軍事機密なのだ。機動捜査課内で知るのはシドとヴィンティス課長のみである。そういった密談をするためにもハイファのデスクは課長の真ん前、シドが左隣という配置になっていた。 「ンなに心配すんなって、誰も聞いちゃいねぇよ」  背後を指して言ったがその通りで、デカ部屋内は朝の喧噪も収まり閑散としている。僅かな在署番を残して皆、他課の聞き込みや張り込みなどといった下請け仕事に出掛けているのだ。  機捜課は本来、殺しや強盗(タタキ)といった凶悪犯罪の初動捜査を担当するセクションである。だがテラ人があまたの星系で暮らすこの時代、ここテラ本星セントラルエリアは汎銀河一の治安の良さを誇ると言われていた。それは過言ではなく、ID管理が行き届き、義務と権利のバランスが取れた社会で、身体を張って犯罪をやらかそうというガッツのある人間は稀少人種となっている。  故にシドとハイファ以外の機捜課員は仕事がない。だからといって血税でタダ飯を食らってはいられない。それ故に出稼ぎに行っているのだ。  ちなみにシドには下請けが殆ど回ってこない。何処の課も余計なストライクをされるのが怖いのである。同じく真夜中の大ストライクを皆が恐れて深夜番も免れていた。  熱い泥水を吹きながらハイファは愚痴る。 「でも油断しないでって言いたいの、刑事の耳は地獄耳なんだし。貴方だって関係者として少しは気を使ってくれなきゃ」 「ふん、勝手に関係者にしておいて、よく言うぜ」  出向したとはいえ、ハイファは別室と切れた訳ではない。放っておいてくれるようなスイートな機関ではないのだ。未だに任務を振ってくる。そしてそれは統括組織の違いも何のそので、イヴェントストライカという『何にでもぶち当たる奇跡のチカラ』を当て込み、今ではシドにまで名指しで降ってくるのである。 「ナニが別室は『巨大テラ連邦の利のために』だよ、その中に俺の利は何処にもねぇぞ?」 「貴方は室長に愛されちゃってるもんね」 「気色の悪いことを抜かすんじゃねぇよ」 「本当のことだもん」 「勘弁してくれって。大体、あの別室長ユアン=ガードナーの野郎とウチの課長が飲み仲間っつーのが間違いだろ。居酒屋『穂足(ホタル)』で可愛い部下を地獄に蹴り落とす相談しやがって!」  そう、別室任務は地獄のようにキビシかった。他星系でマフィアとの銃撃戦など可愛い方で、デッド・オア・アライヴ――その生死を問わず――の賞金首にされ、他人のBELを盗んでの逃避行、ガチの戦場に放り込まれ、今どき砂漠で干物になりかける、など。  思い出してこぶしを震わせるシドを前に、ハイファは暢気に泥水を啜った。 「課長と室長、性格が正反対っぽいから却って気が合うんじゃないの?」 「くそう、ふざけやがって。いつかまとめてシメてやる!」 「はいはい、頑張って頂戴ねー」  軽く流され、シドは鼻を鳴らしてチェーンスモークする。ニコチン・タールが無害物質と置き換えられて久しいが、企業努力として混入された依存物質の哀れな中毒患者だ。 「けど本業やるヒマもねぇほど別室任務が降らせてきやがって、そのたびに『出張』だ『研修』だって言って俺たちは消えるんだぞ。ンな特別勤務が俺たちばっかりに湧くんだ、みんな俺たちには何かがあるって勘づいてるに決まってるだろ」 「勘づかれてても軍機で通す方針なの。大人なんだから本音と建前の区別くらいつけようよ。まだヤマサキさんみたいに知らない人もいるんだから」 「ヤマサキは別格、七分署一空気の読めねぇ男だぞ。一緒にされたらみんな気を悪くするぜ」 「酷いなあ……って、聞こえてないからいいか」  シドの左隣にはそのヤマサキが座って、愛娘二人の3Dポラを眺めてデレデレしていた。  他にはリモータでゲームする者、朝っぱらからデスクでうたた寝する者、デスク端末を眺める者、本日の深夜番を賭けてシノギを削るカードゲームにいそしむ者に、鼻毛を引っこ抜いて長さを比べる者などが散見される。  半分ほどに減らした紙コップを置きハイファが立ち上がった。捜査戦術コンから今朝のひったくりと痴漢の書類を打ち出してくるとキッチリ半分をシドに手渡す。 「はい、たった三枚だよ。溜め込まずに書いてよね」 「始末書もナシだ、チョロいぜ」  昨日も始末書A様式を二枚ずつ埋めた二人だった。原因は通り魔が両手に持ったナイフを腕ごと撃ち落とし、その帰りに行き合った街金強盗二名のレーザーガンを、これも腕ごと撃ち落としてしまったことに因る。  二人は出会いとなったポリスアカデミー初期生と軍部内幹部候補生の対抗戦技競技会で動標射撃部門にエントリーし、決勝戦で相見えた上に、二人同時に過去最若年齢で最高レコードを叩き出したほどの超A級の射撃の腕の持ち主だ。誤射などしたことはない。  だが衆人環視での発砲は考えられる危険性から問答無用で警察官職務執行法違反となり、始末書モノとなってしまうのである。積み重なるこれもまたヴィンティス課長の健康を脅かしていた。  そもそも太陽系では普通、私服司法警察官に通常時の銃携帯を認めていない。シドとハイファの同僚たちも持っている武器はリモータ搭載の麻痺(スタン)レーザーくらいである。  しかしイヴェントストライカとそのバディが職務を遂行するにあたっては、スタン如きでは事足りない。銃はもはや生活必需品となっている。
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