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第3話
「ほら、早く書いて」
「せっつくなよ、書類は逃げやしねぇって」
「ンなこと言って。今日は今日の書類が降るんだからね」
「へいへい」
女房役の監視の許、仕方なくシドはペンを取った。
容易な改竄や情報漏洩を防ぐために試行錯誤した挙げ句、何と今どき書類は原則手書きというローテクなのである。筆跡は内容と共に捜査戦術コンに査定されるので、幾らヒマそうでも他人に押しつけることはできない。
始めてしまえば熱中するたちなので、シドは咥え煙草のまま黙々と書類を酷い右下がりの文字で埋めてゆく。慣れた書式の三枚を書き上げ、FAX形式の捜査戦術コンに食わせるまであっという間、四十分と掛からなかった。
ハイファも一仕事終えたの見取り、シドは煙草を消して椅子の背からジャケットを取り上げる。このチャコールグレイの上着もタダのジャケットではない。
これは挟み込まれた特殊ゲルにより、余程の至近距離でもなければ四十五口径弾をぶち込まれても打撲程度で済ませ、生地はレーザーをもある程度弾くシールドファイバ製だ。自腹を切った価格も六十万クレジットという高額商品だが、もう何度も命を拾っている。おまけに夏は涼しく冬は暖かいというのが自慢でシドの外出時の制服だった。
これを着れば外出のサイン、ハイファもデスク上を片付ける。
「じゃあ、行くか」
そこで窓の外を眺めていたヴィンティス課長がくるりと振り向いた。
「『行くか』じゃない。シド、座っていたまえ」
朝の小言に引き続いて始まった課長のいつもの説教にシドはうんざり顔を隠そうともしない。
「ここに座っていても仕事がないんですがね」
「我々の仕事がないのは有難いことじゃないか。いいから同報を待っていたまえ」
同報とは事件の知らせである。これが入れば機捜課は飛び出してゆかねばならない。それ故に機捜課のデカ部屋は一階にあるのだ。
「だからって同報も入らないじゃないですか」
「それは同報を入れるのはいつもキミ、キミは現場にいるからだ」
「便利でいいじゃないですか」
「そういう問題じゃないと何度言えば――」
課長の愚痴が立ち消えになった。ブルーアイの視線をシドは振り返って追う。オートドアが開いて入ってきたのは紺の制服二人組だった。馴染みの入星管理局職員だ。
「いやあ、またお世話になったそうで、すみませんな」
一人が愛想良く言い、二人揃って挙手敬礼する。シドとハイファにヴィンティス課長もラフに答礼した。小言が途切れてこれ幸いとシドはハイファと共に入管職員たちを地下留置場に案内する。不法入星者二人は硬い寝台で不貞寝していた。
お起き願ってワイア格子の入ったポリカーボネート張りの透明な部屋から出て貰う。すぐさま入管二人が不法入星者たちのリモータを検めた。
「ほうほう、入管にも星系政府中枢ID管理コンにもIDがありませんな」
「ニセの時限IDでタイタンに入星したんでしょうね」
入管職員らはシドに頷く。土星の衛星タイタンには第一から第七までのハブ宙港があり、これのどれかを通過しなければ太陽系内外の何処にも行けないシステムになっているのだ。
時限IDとは偽造IDの一種で、組み上げた偽造IDに売る側が使用期限をくっつけたものだ。例えばタイタンの通関をクリアしたあとに消滅する。こうすれば売る側は何度でも同じ偽造IDを違う相手に売りつけられるのだ。
「やっぱりロニアですかね?」
「かも知れませんなあ。タイタンからワープ一回、近すぎるあそこには何処までも手を焼かされて――」
職員の愚痴にもシドはいちいち頷いて見せた。
テラ連邦議会に加盟しつつもテラの意向に添わない星系があるのが実情である。
一方の雄は四六時中内戦を繰り返しテロリスト育成の温床になっているヴィクトル星系であり、もう一方の雄が林立するマフィアファミリーが全星を牛耳り『人口より銃の数が多い』というのがキャッチフレーズのロニア星系第四惑星ロニアⅣだった。
特にシドたちにとって厄介なのがロニアで、違法ドラッグや不法入星に武器弾薬が流れてきたら、まずロニアを疑うのがセオリーとなっているくらいなのである。
だがロニアはちょっとスリルのあるレジャーとして意外にも旅行客に人気があった。汎銀河法で違反とされる強力な銃を撃たせるツアーや違法ドラッグ、テラ連邦では認可していないカジノに売春宿など、平和に倦み飽きた人々がマフィアが饗する甘い毒に群がり外貨を落とすという悪循環に陥っているのである。
「ほうほう、クレジットも残り三桁と。食い詰めて罪を犯す前でよかったですなあ」
言われてシドとハイファは職員が掴んだ不法入星者たちのリモータを覗く。確かに不法入星者二人は殆どカネを持っていなかった。たった三桁のカネしか持たずにやってきた彼らは明日にでも強盗に入るつもりだったのかも知れない。
タタキといっても現金を担いで逃げるのではない。現代の高度文明圏では殆どリアルマネーは使われず、銀行にだって現金は積んでいないのだ。そこでリモータが財布の役目も果たす。昨日のタタキも『こいつにクレジットを移せ!』などとやった訳である。
クレジットの収支は衛星や、ありとあらゆる所に立てられたレピータを介し、銀行のサーバが即時記録するシステムになっていた。
ふて腐れながらも目を逸らす不法入星二人はダイナ銀行の前で不審行動をとってシドに職務質問され、御用となったのである。
入管職員らはシドたちと互いに挙手敬礼すると、強情にもひとことも口を利かなかった不法入星者二名を後ろ手に捕縛し階段を上って行った。馴染みの客に見送りは不要である。
シドとハイファは顔を見合わせて軽く溜息をついた。
「で、このままエスケープってことだね?」
「人聞きの悪いこと言うなよな」
「はいはい、信念の足での捜査ね」
二人は密やかに階段を上るとコーヒーメーカなどの載った背の低いスチールキャビネットの連なるカウンターを掩蔽物に、そっとデカ部屋のオートドアから離脱する。
「脱出成功と。あーあ、課長も可哀相に」
署の外から振り仰ぐと、機捜課の窓からヴィンティス課長が青い目を剥いて、ハンドサインで「も・ど・れ~っ!」と示している。シドはポーカーフェイスで見て見ぬフリだ。
「それでどっち方面に行くの?」
「昼メシはリンデンバウムで食う、お前の奢りだからな。当然こっちだ」
そう言って手にしていた対衝撃ジャケットに袖を通し、長めの裾を翻して官庁街を左に向かって歩き出した。
「ほんっとに土鍋性格なんだから。貴方、お給料要らないくらいおカネ持ってるクセに」
「それとこれとは別だ」
こう見えてシドは財産家なのだ。以前の別室任務で他星系に行った際に偶然手に入れたテラ連邦直轄銀行発行の宝クジ三枚がストライク大炸裂、一等前後賞を見事に射止めて億単位という平刑事には夢のような巨額を手にしてしまったのだ。そのクレジットは殆ど手つかずのままテラ連邦直轄銀行で日々子供を生みながら眠っている。
それでも天職の刑事を辞めるつもりはない。
「そう言うお前だってカネには困ってねぇだろうが」
「それはそうなんだけどサ」
「天下のFC代表取締役専務サマだもんな」
ハイファはハイファス=ファサルート、テラ連邦内でも有数のエネルギー関連会社ファサルートコーポレーション・通称FCの会長御曹司という一面も持っていた。一歩間違えれば現社長であってもおかしくない立場であり、過去には本当に社長に祭り上げられたこともあるのだ。
だが二歩も三歩も間違えたので今は刑事、しかし血族の結束も固い社に於いて名ばかりながら代表取締役専務という肩書きを持たされているのである。
それだけではない。ハイファは生みの母がレアメタルで有名なセフェロ星系の王族だったという大した出自なのだ。おまけに云えば別室入りする前には二年間スナイパーをやっていた、何とも忙しい男なのである。
「月に一度、溜まった書類に決裁するだけで役員報酬が入るんだろ?」
「僕と貴方で六百五十クレジットのランチ代で揉めるのも情けないよねえ」
「でも所詮は互いに伝統ある耐乏官品だからな」
それでありとあらゆる出費はいつも一日交替で支払うことに決めているのだ。
辺りは官庁街からショッピング街へと変わり、シドの切れ長の目も鋭くなる。ここからひったくりや置き引きに痴漢などが多くなるのだ。
一方でハイファは殆ど散歩気分である。シドと手を繋げればいいのになあ、などと考えたりもするが、ハイファ自身の利き手を塞ぐような甘さが愛し人にないのも承知していた。
平日だというのにこの辺りは大した人出で、数々の店舗の前には露店まで出てアクセサリーなどを売っている。立ち止まって検分する女性たちが黄色い声を上げ、街金のティッシュ配りが忙しく動き回り、子供の手放した風船が空へと舞い上がって大変な騒ぎだった。
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