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第50話
「うわあ、さすがに豪華だよねえ」
「却って落ち着かないぜ」
寮のビル、三十七階の三七〇五号室に入ってみて、二人はそんな感想を洩らした。
土足でもそうでなくてもいいとされたフローリングのリビングにはGフィールド発生装置が備え付けられ、疲れて帰れば1Gを割った空間でくつろぐこともできる。複雑な織り模様の絨毯が敷かれ、ソファセットは本革張りだ。天井には小ぶりのシャンデリアまで下がっている。
寝室はシングルが二間あり、それぞれに多機能デスクが備え付けてあった。
ダイニングキッチンにはオートクッカーだの飲料ディスペンサーだのが標準装備、壁の端末からはルームサーヴィスが頼めるらしい。勿論、自分で作りたければ食材の宅配サーヴィスが二十四時間待機しているという。クリーニングや料理の宅配サーヴィスも完璧だ。
どの部屋にもある3DホロTVを中空に浮かび上がらせながらシドは溜息混じりに言った。
「そこらの高級ホテルよりも豪華だな」
「まあ、これが『サラリーマンの夢』の象徴なのかもね」
「なるほどな。おっ、もうさっきの件がニュースになってるぞ」
静かに二人で視聴したが、
《暴漢に襲われ撃たれて三名死亡、二人重傷。一人はSDB社員》
というだけの、至極あっさりとしたものだった。
「さあて。寝るヒマは殆どないし、コーヒーでも淹れようっと」
カラリと言ってハイファがキッチンに立つ。そして様々に利便化されたシステムを見渡し、
「買い物なんかに行かなくても良かったんだね」
と、こちらも溜息混じりに呟く。
衛生管理もオールグリーンの飲料ディスペンサーでコーヒーを淹れ、陶器のカップふたつを手にリビングにやってくる。一旦執銃を解き、スーツから普段着に着替えると二人でソファに向かい合って腰掛けた。シドは自動消火の灰皿を引き寄せ、煙草を咥えて火を点ける。
「そろそろ何とかしたいんだがな」
「でも攻めに転じるには敵の目的くらい分からないとね」
考え込んだ挙げ句にシドはハイファに訊いた。
「ニセクレジットが横行すると拙いのは分かった。だがシュレーダーはニセクレジットを蔓延させたがってる、そう仮定する。そこで何が生まれるんだ?」
「生まれないって。インフレに下手すると国家の破綻。マイナスばかりでプラスはないよ」
「マイナスポイントでも充分生まれるじゃねぇか」
「そりゃあ、マイナスポイントは数え上げればキリがないよ。国家に対しての不満とかね」
「ニセクレジットの犯人じゃなくて、国に対して憎しみが湧くのか?」
「だって犯人が分かんないんだもん。そんな犯人をのさばらせて、惑星警察だってよく叩かれるじゃない。それと一緒だよ」
「あ、それもそうか」
たびたび座らされる針のムシロをシドは思いだす。悪事が横行すると官品は肩身が狭くなるのだ。別に自分が悪い訳ではないのだが、胸を張って「刑事だ」とは言いづらくなる。
「それに国家に対しての不満は一種類じゃないしね」
「犯人云々だけじゃねぇんだな?」
「そう。牽いてはクレジットの信用と裏付けを失わせた責任への不満が大きいよ」
「幾ら稼いでもカネの価値がなくなるんだもんな。価値を保障する裏付けと信用の大元、『クレジット流通量のコントロール』をしてる筈の星系政府に不満が湧くってことだな」
「分かってるじゃない」
「んで、不満は不満のままなのか?」
「どういうこと?」
「不満を抱いて星民は星系政府に何を訴えるんだ?」
「うーん、『クレジット流通量のコントロール』をキッチリしろとか、かなあ?」
カップに口を付けながらシドは軽く笑った。
「単純だな」
「単純だけど、一度信用を失っちゃったら、再びキッチリするのは難しいよ」
「じゃあ星民は『キッチリできなきゃ、キッチリできる奴にさせろ』とでも叫ぶのか?」
「……ちょっと、それってシド!」
ふいにハイファはカップをガチャンとロウテーブルに置いた。チャプンとコーヒーが波打って、普段優雅なハイファらしからぬ所作にシドは少々驚く。
「な、急に何なんだよ?」
「貴方、本当にビンゴ引いたのかも知れないよ?」
「分かったから、説明しろって」
再びカップを手にしたハイファはコーヒーをひとくち飲んでから口を開いた。
「AD世紀の昔、ある国王が軍備増強のために融資してくれる所を探してた――」
AD1694年、イギリス国王オレンジ公ウィリアムは常備軍設立のために融資してくれる者を探していた。そこに名乗りを上げたのが『ロンドンの商人』だった。
その『ロンドンの商人』は条件を出した。融資額相当分の紙幣の発行を許可して欲しいと。王はそれを許可してしまう。つまり通貨発行権を認めてしまったのである。
これによって百パーセント民間企業のイングランド銀行というイギリスの中央銀行が設立されることになる。そう、イギリス議会ではなく一部民間人がイギリスの通貨・ポンドの通貨発行権を握ってしまったのだ。
「それで国が口出し不可能な『シティ・オブ・ロンドン』なる金融街が形成されて、世界金融の司令塔にまでなっちゃったんだよ。それの延長線上で、もうひとつの例がやっぱりAD世紀のアメリカ合衆国にもあってね――」
AD1812年、『シティバンク・オブ・ニューヨーク』がアメリカ・ニューヨークで設立され、『シティ・オブ・ロンドン』のアメリカ支店の役割を担うようになった。
そしてAD1913年12月、ひとつの法案がアメリカ議会を通過し、ウッドロー=ウィルソン大統領が署名して法律となる。二人の議員の名前を付けた『グラス・オーウェン法』というこの法律は、実質『中央銀行設立法』だった。
「この法律に基づいてFRB、連邦準備制度理事会っていうアメリカ合衆国の中央銀行が設立されたんだよ。政府機関じゃない、百パーセント民間の株式会社がね。そこで何が問題になると思う?」
「イングランド銀行と同じ民間会社だから、政府は何も口出しできねぇってことだよな」
「そうだね。政府は一株も持ってないから、『クレジット流通量のコントロール』もできない。会計監査も入れられない。FRBは好きなだけお金を作れちゃう」
「酷いな、そりゃ。でもそれだとインフレになって国家は破綻するんだろ」
「まあね。だからこの話はちょっと誇張気味だし、このFRB初期の頃はまだゴールド本位制だったから、無闇に通貨を作ることはできなかったしね」
「何だ、そうか」
つまらなそうにシドはフィルタだけになった煙草を捨てた。冷めたコーヒーを飲む。
「でもゴールド本位制から解放されたAD1971年からあとは、本当に何の束縛もなく、お金を作れるようになっちゃって、やっぱり色々と問題が発生したんだよ」
「どんなだ?」
「例えばアメリカ財務省はFRBの指示で紙幣を印刷する。でもこの紙幣の所有権はFRBにあるよね。FRBはこの紙幣でアメリカ財務省発行の国債を購入したんだよ。それで国民が支払う税金で利息が支払われて、FRBは儲けた」
「何だ、そりゃ。元手ナシでがっぽりじゃねぇか」
「まあ、それだけ通貨発行権は政府が握らないといけない大事なモノだってこと」
なるほどと思い、シドは自分が言い出した『クレジット流通量のコントロール』をキッチリできる奴を考えてみた。
「でもさ、幾ら大事なモノでも星系政府が管理できなければ、代わりに誰かがやるしかねぇだろ。民間でも誰でも……あっ、そうか!」
ハイファが鋭くシドを見て、頬に笑みを浮かばせる。
「分かった?」
「ああ。シュレーダー・ディー・バンク社の#狙いは__・__##通貨発行権__・__#、そうなんだな?」
「想像でしかないし大ごとすぎるけど、それ以外に今は考えつかないよ」
「ニセクレジットを蔓延させて星系政府の責任を問う訳だな?」
「ニセクレジットで頭にきた星系民が後押しするよね」
「そこでシュレーダーが云う訳だ、『俺たちならニセクレジットなど蔓延させない』『金融政策を上手く運用するぞ』ってな。そうして星系政府に迫って通貨発行権をもぎ取り、星系政府管掌のテラ連邦直轄銀行支店まで手中に収める、か」
「これで一直線に繋がったよね」
また煙草を吸い始めたシドを見てハイファは考えを巡らせつつ言った。
「民間企業へ通貨発行権を委譲するっていう前例をシュレーダーが作ったら、星系政府の『クレジット流通量のコントロール』ができていない他星にも飛び火するかも知れない」
「つまりニセクレジットを蔓延させてしまったテラ本星とかロニアにも、同じく通貨発行権の委譲を迫る人間が出てくるかも知れねぇってことか?」
「そう。例えば『緩やかな連邦』を目指す分離主義者、つまりテラ連邦直轄銀行本店の権力をも分散させようとする人たちとかね」
「ここにダリアネットワークはなかった。巨大シュレーダー・ディー・バンクそのものが監視者だったからだ。本星やロニアのダリアネットワークはその代わりってことだな」
「本家のここが上手く行くか様子見してから、大々的に動くのかも知れないよ」
「そういう手もあるのか。ロニアや本星までシュレーダーは狙ってるんだな?」
「そこまではまだ、仮定だけどね」
「ロニアはともかく、まさか本星は大丈夫だろ?」
「そんなの僕にも分かんないよ、それこそ本星のカールやリカルドたちに頑張って貰わないと」
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