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第54話
目を覚ますたびに違う場所というのは結構スリルがあるものだ。
そう思いながらシドは薄くまぶたを持ち上げて天井のライトパネルに目を慣らした。同時に手はシーツの感触を捉えている。
だがこんなに狭くて硬いベッドに洗い晒しのざらついたシーツなど、留置場の寝台でもあるまいしと考えて身を起こすと、そこはまさにワイア格子の挟まれた透明のポリカーボネートに囲まれた留置場空間で、飛び起きるなり待遇の悪さに毒づきながら壁に蹴りを入れた。
「チクショウ、何だってんだよ!」
答える者も、勿論ハイファの姿もなく、怒りと不安で力任せに壁を蹴り続ける。
「何が特命だ、ふざけんじゃねぇ、誰か出てきやがれ!」
するとオーダーが通ったらしく、留置場前の廊下に医者らしい白衣を着た中年女が現れた。
「元気な全身打撲患者だね。けどもう少し大人しくしておいた方がいいよ、熱が出るからね」
「患者だと? なら患者らしく扱えってんだ、ざけんなよ、この藪医者!」
「何だって? 聞きしに勝る極悪患者だね。いいから寝ておきな」
「ハイファもいねぇのに寝てられるか、クソババア!」
「言ったね、この!」
ドアが開いたなら掴み合っていただろう場面に、やっとハイファが姿を見せる。
「わああ、ごめんなさい先生、この人の口は心とは別、悪い星からやってきた悪い生命体なんです、許してやって下さいっ!」
一気に言うとハイファは直立不動で挙手敬礼をした。その挙動をシドは不思議に思う。ハイファのそれは軍隊仕込みの本格的なものだったからだ。そのまま直立不動で医師らしい女の言葉を待っていた。
「その別の生命体、合成蛋白接着剤で固めてやってもいいんだよ?」
「申し訳ありません、メム。この人の舌禍は日常語なんです、どうか捨て置いて下さい」
「フン。まあいいわ」
「……本当にスミマセン」
医師らしい中年女が頷くとハイファはまた謝ってから敬礼を解き、リモータの一振りで留置場のキィロックまで解いて中に入ってきた。シドに駆け寄り顔を覗き込む。
「シド、具合はどう?」
言われてみるとガーゼか何かを貼られているらしい左のこめかみだけが少し腫れているようで、脈打っている感じがしたが他は何処といって不調を感じない。
「別に何ともねぇよ」
「ああ、でも全身打撲だもん、痛むよね」
「別に痛くも痒くもねぇって。それよりここは何処なんだ?」
「いいからほら、寝てて。痛み止めでも飲む? 馬でも効くのを貰って――」
「人の話を聞け! 状況説明くらいする気はねぇのかよ!」
大声を出すとやっとハイファは口を噤んだ。シドは寝台に戻って腰掛け、隣を指差しハイファを促す。ハイファは素直にやってきて一緒に腰を下ろした。
ハイファは引き裂かれていたドレスシャツも着替え、乱れていた髪も銀の留め金で綺麗に束ねて留めている。気付くとシド自身も着替えさせられ身なりを整えられていた。丁寧に治療もされたらしい。全身が消炎スプレー臭いのは仕方ないだろう。
それだけでも待遇が最悪より少し上なのは見て取れたが、一応訊かなくては気が済まない。
「まさか惑星警察に拉致られたんじゃねぇだろうな?」
「それはないよ、ここは特命だもん。でもそれに近い状態ではあるかもね」
「どういうことだよ、それは?」
「ここはテラ連邦軍のフラナス基地、アリミアから五百キロくらい離れてる――」
端的に言えばフラナス星系政府はシュレーダー・ディー・バンク社の奸計に気付いていたのだ。そこで秘密裏に組織されたのが特命だった。
彼らは星系政府首相から直接密命を受け、SDBのニセクレジット事件をかなり初期の段階から探っていたらしい。
「――元警官や元軍人だけじゃなくて現役の警官や惑星内駐留テラ連邦軍人も選抜されて、特命は組織されてるんだってサ。そこに重要参考人として僕らが舞い込んだって訳」
「シュレーダーの奸計を知る証人ってことか」
「そう。だから丁重な扱いは受けてるけど、黙って出て行くことは叶わない」
「ふん。何処が丁重な扱いなのか、俺は大変遺憾に思ってるぞ」
そこでドアに凭れていた中年女医が口を挟む。
「それはあたしたちのせいじゃないよ。営倉にぶち込めと言ったのはハイファスだからね」
ポーカーフェイスにじっと見られてハイファは言い訳に走った。
「だって放っておくと勝手に徘徊しちゃうのは目に見えてたんだもん!」
「丁重な扱いをされたきゃ、その悪い生命体を閉じて出ておいで。こっちだ」
促されてシドはハイファと共に営倉、つまりは軍隊に於ける留置場から出た。
廊下をぐいぐいと大股で歩いてゆく女医のあとを追い、階段を上ると窓のある廊下に出る。営倉は地下だったらしい。
その廊下もぐいぐいと歩き何度か角を曲がって、途中誰にも出会わずに辿り着いたのは、狭いオフィスのような部屋だった。
室内をシドは見回す。テラ連邦規格のユニット建築物というカネの掛からない室内には、狭さにそぐわないほどの人間がいた。十数名が並んだデスクに就いて端末を操作し、へたれたソファで居眠りをし、デスクに腰掛けて話し合っている。
誰もがテラ連邦陸軍の濃緑色の制服を身に着けていて、なるほどここは紛れもない基地だと思わせる光景だった。
「でもみんなが軍人って訳じゃないんだよ、隠蔽として軍人のフリしてるけどね」
「元軍人に警察官だっけか?」
「そう。僕らもあとでコスプレだからね」
「ふん。んで、ここは何処だって?」
「MP、ミリタリーポリスの事務所だよ。フラナス基地第二憲兵小隊」
「軍に於いて蛇蝎の如く嫌われる憲兵隊なら、関係者以外は殆ど近づかないってか」
頷いてハイファがリモータ操作して、十四インチホロスクリーンに基地の配置図を映し出す。
「ほら、ここは裏門に近い僻地だし、上手い考えだと思うけどね。他にはアリミアとリーランの惑星警察でも、忘れ物係の部屋が特命の根城になってたりするんだってサ」
「へえ。それで本部は何処なんだ?」
「本部はないんだって。みんなそれぞれ発振で動いてる。特命を受けてね」
そう言うとハイファは自然に傍のデスクに着いた。端末を起動してホロキィボードを叩き、ホロディスプレイに何かの資料を表示させてからシドを呼ぶ。
「ねえ、これ見て。ここの人たちが探り当てたダリア素子の流れだよ」
覗き込むと訳の分からないグラフのようなものが浮かんでいて、シドが首を傾げるとハイファは資料を切り替え、フローチャートを表示した。
「これ。この第四惑星レオラのSDBが所有するセス素子工場から『XⅡ』ってコードネームで各社のボディジェム工場にダリア素子が流れてる。勿論セス素子のフリをしてね」
「一ヶ月で八千か、相当な数だな」
「おまけに『ジェムは着替えるのがお洒落』とかいう噂を流して、更に購買意欲を煽ってる」
「けっ、やりたい放題だな。星系民全員がダリア素子を身に着けるのも時間の問題ってか」
「そういうことになるね。テラ本星でも他人事じゃないよ」
「まあな。でもここの連中は何でそこまで分かっててシュレーダーを叩かねぇんだ?」
横からコーヒーの入った紙コップを差し出され、見ると制服の男が笑っていた。有難く受け取り、ひとくち啜ってシドは口内の傷まで合成蛋白接着剤で丁寧に処置されているのを知る。
チラリと女医を流し見て、煙草を振り出し咥えてオイルライターで火を点けた。気付くと狭い事務所内は静かになっていて、シドとハイファに視線が集まっていた。
コーヒーをくれた男がハイファのデスクに腰を預けて口を開く。
「シュレーダー・ディー・バンク社を叩くのは簡単だ。だが目論んだ大元を捕縛するには決め手に欠ける。それこそ『任せきり』にされた社員だけを叩いても仕方がないからな」
どうやらハイファは既に彼らと話をしたらしい。
「だからって指を咥えて眺めてる訳じゃねぇんだろ?」
「勿論だ。証拠集めに奔走している。だがあんたたちも知った通り、このフラナスではテラ本星やロニアのようにダリアネットワークがある訳じゃないんだ」
「探るべき対象も手掛かりも、却って少ねぇってことか」
「その通り」と、男はシドに灰皿を突き出し、「そこにあんたらが降って湧いた」
出された軽金属の灰皿に灰を落としながらシドは慎重に応えた。
「なるほど。でも俺たちだってシュレーダーの上部に辿り着いちゃいないぜ?」
「それでも誰より近い位置にいる、だからこそ狙われる」
「囮にしようってか?」
応えず男はシドにラフな敬礼をしてみせる。
「ふ……ん。少し考えさせてくれ」
「なるべく早い決断を頼む。ここまで蔓延したダリア素子は非常に危険だからな。下手をすると特殊リモータと組み合わせて、星民一人一人の監視システムとしても機能させられる」
「それだけじゃねぇぞ、個人の収支が読めれば強請る材料にもできる。個人を簡単に意のままに動かす強力なアイテムにもなるってことだ」
「そこまで分かっているならいい。怪我が痛むだろう、部屋に案内する」
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