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第55話
軽快に立ち上がると男はシドとハイファを促して廊下に出た。また廊下を辿って案内されたのは、さっきのオフィスからさほど離れていない空き部屋だった。
「俺はロイと呼んでくれ。ロッカーに制服が入っている。外に出るなら着替えてからにして欲しい」
「了解した」
連絡が取れるようにロイとリモータIDの交換をし、リモータチェッカのキィロックコードを二人に流すと、すぐにロイは出て行った。
見回すとここもユニット建築で狭く、非常に古臭かった。細いスチルロッカーにキャビネット、端末付きデスクがふたつずつ。ベッドこそ二段でなく壁際にひとつずつだがフリースペースは殆どない、いかにもな軍隊の二人部屋だ。
幸いユニット建築の強みでリフレッシャにダートレス、トイレは完備されている。
片方のベッドにはハイファのショルダーバッグが置かれていた。
ハイファがロッカーからテラ連邦陸軍の制服を二人分出してベッドに伸べる。それは本星でハイファがたまに着る、裾が長めでウェストを共布ベルトで締めるタイプではなく、スタンダードなシングルスーツ型だった。
ヒップホルスタを難なく付けられるのは有難い。
「ねえ、もう着替えない?」
制服フェチの気がある相棒の期待に輝く若草色の瞳にシドは溜息をつく。
「もう十五時か。腹減ったぜ」
「でもこんな時間に食堂はやってないんじゃないかな。PXの喫茶店でいい?」
「目立つのも何だ、何か買ってこようぜ」
さっさとシドは着替え始めた。濃いベージュのワイシャツにタイを締める。たびたび着せられてきた今までの制服は中央情報局員の証しとしてタイが焦げ茶だったが、ここでは目立たぬよう他の兵士と同じく制服とお揃いの濃緑色だ。スラックスを身に着け、執銃して大腿部のバンドを締める。上着を着て出来上がり、サイズもピッタリだった。
手回しよくネームプレート付きで階級章は二等陸尉である。もし怪しまれて誰何されてもリモータには丁度、別室戦術コンが練り上げた、これもたびたび使うことになる『シド=ワカミヤ二尉』のデータが入っていた。
「うわあ、やっぱりシド、カッコいい~っ!」
こちらも着替えたハイファが潤んだ目でシドを見つめ腕にスリスリする。
「だめだ、離せ。行けなくなるぞ」
惜しそうな目を無視して対衝撃ジャケットを羽織った。裾の長いこれがないと銃が目立つ。
部屋を出ると制服の男が二人立っていた。勝手に基地から出て行かないよう見張っているらしい。ご苦労なことだとシドは思いながら部屋をリモータでロックし、ハイファと共に配置図に従って廊下を辿り外に出た。
見張りも距離を置いてついてくる。
外に出ると綺麗に晴れていて、日差しがきつく目の底が痛いくらいだった。気温も高い。見渡しても移動用のコイルはなく、二人は見張りを引き連れて歩き始める。
ファイバの道沿いには様々な建物が建っていたが、どれも古臭く耐乏官品の哀愁が立ち上っているような基地だった。シドの思いを読んだようにハイファが笑って解説する。
「ここはテラとしても戦略的に重要拠点じゃないからね」
「まるきり雇用促進基地か」
「まあね。総員で五千もいないよ。ド田舎基地もいいところ」
「軍がアテにされてねぇのは、ある意味いいことじゃねぇか」
「お蔭で秘密基地も作れたってことだね」
汗をかかないようゆっくりと歩いて十五分ほどでやっとPX、いわゆる売店に辿り着いた。そこもユニット建築を積み上げた二階建てである。時間的に他の兵士も少なかった。
それでも二人は人目を惹いた。大体、タダでさえいるだけで何故か目立ってしまう二人なのだ。おまけにシドはこめかみにガーゼを貼っている。
そそくさと二人は保冷ボトルのコーヒーやスナック菓子などを買い込み、PXをあとにした。シドは本星産の輸入煙草を手に入れてご満悦だ。
このまま基地見物でもしたい気分だったが、見張りに気を使わせるのも悪いので、大人しく第二憲兵小隊と自室のある建物へと引き返す。外から見た第二憲兵小隊の建物は同じユニット建築物でも、どれより古臭くショボかった。
部屋に戻るとシドは早速スナック菓子とコーヒーでおやつタイムだ。
一緒にポテトチップスを摘みながらハイファが訊く。
「で、貴方は特命に協力しないの?」
「別に協力しないとは言ってねぇよ。何でだ?」
「だって、どう見ても乗り気じゃないから」
「囮になるんだぞ、嬉しがるほど脳天気に見えるのか?」
「貴方、そういうのって嫌いじゃないと思ってたよ」
「ふん――」
と、シドはポテトチップスの袋を傾けて、残りの破片をザラザラと口の中に流し込んだ。
「俺は囮になってもいい、だがお前はだめだ」
「独りでやるって言うの? どうしてサ?」
「どうしてもだ」
「そんな……警察も、もしかしたら一般人だって敵に回るかも知れないんだよ? そこでバディで動かないなんて何か意味でもあるの?」
「……」
それきりシドは黙ってしまい、とりつく島もない態度にハイファは言葉を掛けあぐねる。だがそれでは任務は終わらない。ハイファは特命の皆からシドを頷かせるよう頼まれてもいた。
「ねえ、シド。もう四面楚歌じゃないんだよ、特命がついてるんだしサ」
「警察も一般人も敵になるかもって今、お前が言ったんだぞ」
「それでももう、いい加減に本星に帰りたいとか思わない?」
煙草に火を点けたシドは小さな灰皿片手にデスク付属の椅子に前後逆に腰掛け、デスクに腰を預けたハイファをチラリと見上げる。
「思うさ。だから俺は引き受ける。でもお前は絶対にだめだ」
「何でサ、僕らは二人で最高のチームだって言ったじゃない!」
頭ごなしに言われてハイファはとうとう大声を出す。意識のないシドがあの医師に治療されるときにハイファも立ち会った。シドにはBELが墜ちたときにできた打撲とは思えない、酷いアザが身体中にあった。独りで戦った痕だった。
「独りでなんて行かせない、背中を護り合うのがバディじゃないのサ!」
「そいつは忘れちゃいねぇよ。だがな……お前だっていったいどんな目に遭ったのか、知らない訳じゃねぇだろうが」
「それは……」
我が身が無事だったのは分かっている。だがシドが身繕いをしてくれたらしいとはいえ、衣服は引き裂かれていて何があったのか想像に難くなかった。それこそシドが全身にアザを作るほどに抵抗してくれなければ、自分は無事ではいられなかった、それも簡単に想像できる。
「けど、僕は何がどうなってもいい、貴方一人に囮なんてさせないからね!」
「……何がどうなってもいいだって?」
低い声で唸るように言い、シドはハイファを見上げて睨みつけた。その声色と切れ長の黒い目に閃いた煌めきで、ハイファはシドを本気で怒らせたのを知る。
「お前は何処の誰に何をされようが構わねぇって言うのか?」
「そんなことは言ってないじゃない」
「同じことじゃねぇか! 俺が命に代えても護りたいものを、お前はどうなってもいい、そう言ったんだぞ!」
「……シド」
「俺が命よりも大事に思ってるモノを、テメェは他の誰かに、俺じゃない誰かに……くそう、ふざけんじゃねぇぞ、チクショウ!」
吸いかけの煙草を灰皿に叩き捨てたシドの激情に触れ、ハイファは失言を謝った。
「シド、ごめん……ごめんね」
「くっ……ハイファ、こい!」
立ち上がったシドに腕を掴まれて引きずられる。ベッドに放り出されてのしかかられた。互いにドレスシャツとスラックス姿、薄い生地一枚越しにハイファはシドの体が高熱を発しているのに気付く。医師の言った通りに打撲から発熱したのだろう。
「シド、貴方、熱が……」
「ンなもん、どうでもいい」
狂おしいような色を湛えた切れ長の目に見つめられて黙ると唇を奪われた。捩るようにして貪られ、素直に歯列を割ると熱い舌が入り込んできて目茶苦茶に舐め回される。
「んんっ……ん、んぅ……んんぅ……はあっ!」
「お前はこんなこと、他の誰かにさせる気なのかよ?」
「そんなことは言ってない!」
さすがに頭にきて、ハイファは肩で息をしながらシドを見上げて睨んだ。熱に潤んだシドの目が睨み返す。暫し二人は重なり合ったまま、仇同士のように睨み合っていた。
「僕が許すのはシドだけ、貴方だけだよ。たとえ躰を勝手にされても心は勝手にさせない」
「俺は嫌だ。お前の心も躰も全部、誰にも許さねぇ、俺だけの――」
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