第58話

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第58話

 そのとき建材に紛れた音声素子がラッパの音が鳴り響かせて課業終了を基地の全兵士に伝えた。十七時だ。三十分後に食堂が開いて夕食である。  シドは急がせる訳にはいかないハイファを促し、ゆっくりと食堂へ向かうべく部屋を出た。  夕食時の食堂はさほど混み合ってはいなかった。所帯持ちは全員近所の官舎に帰ってしまうからだ。残るは独り者ばかり、それもシドたちは下士官以下の兵士とは違い士官食堂を利用するので更に人は少ない。  ガランとした食堂で悠々と夕食を摂る。  天井から下がったプロペラが生暖かい空気をかき回す中、シドはカツカレーを流し込むように食し、酸っぱいドレッシングの掛かったサラダを持て余した。一方のハイファはこんなメニューでも一流レストランでのディナーのように優雅に食している。 「シド、野菜も食べて」 「食うってばよ」  仕方なくパリパリと食しながら食堂内を見回すとロイ以下、第二憲兵小隊のメンバーもちらほらと見受けられた。けれど皆が集まるような目立つことはしない。  やっとシドがサラダを胃の腑に収めきり、二人は腰を上げた。またPXに寄って保冷ボトルのコーヒーを調達し、帰路に就く。外灯も間遠で移動用コイルもない貧乏基地をてくてくと歩いた。前方には二人と同じく制服姿のロイと特命の仲間の二人が歩いている。  後方にはシドとハイファを監視する二人の男が距離を開けてついてきていた。そうして第二憲兵小隊のユニット建築まで、あと三十メートルほどに近づいたときだった。  ロイと一緒に歩いていた男が暴走コイルにでも撥ね飛ばされたようにシドとハイファの方に吹っ飛んできた。ぶつかりそうになったのをギリギリでシドは避け、同時に撃発音を耳にする。咄嗟にシドとハイファは銃を抜いていた。二発目を聞く前にシド、ユニット建築の陰へと牽制の一射を放つ。レールガンはマズルフラッシュのないのが有利、更にもう一射。 「伏せろ、ロイ!」  叫びつつシドはハイファの前に出た。建物の陰でマズルフラッシュが二度閃く。それに照らされ見えたのは茶色い髪、容赦なくその頭に向けてシド、パワーを上げたレールガンで応射。ここも外灯と外灯の間で暗い、マズルフラッシュで位置を知らせるハイファは撃たない。  連射しながらシドは駆け出す。撃ち込んで撃たせない。走りに走って飛び込んだ建物の陰には真鍮の煌めく空薬莢 が散っているだけ、シドは勘に従ってまた走り出した。ハイファがテミスコピーを手にして追う。  ユニット建築の裏には小型BELが数機駐められていた。特命の足であるそれらの許に辿り着いたときには一機のBELが急速に垂直上昇し、既に水平飛行に移ろうとしていた。機体の腹に向けてシドはマックスパワーでトリプルショット。だが航法灯も消した機は身を揺らめかせながらも、星空を切り取りつつそのまま姿を消す。 「くそう、今度こそいったと思ったんだがな」 「腕もいいし、逃げ足も速いよね。それよりシド、貴方はまた先生のお客だからね」 「このくらい、舐めときゃ治るってばよ」 「だめ、僕だって吸血鬼じゃないんだから、患者決定」  ガーゼを外したばかりの左こめかみを掠られ、端正な顔は凄絶だった。ハイファが曇り顔でハンカチを傷に押し当てる。ハンカチだけ借りてシドはハイファと来た道を戻りだした。 「ロイ、無事か?」 「俺はな。だがウッズが()られた」  ウッズは額を撃ち抜かれて絶命していた。その死体をシドとハイファは検分する。監視役だった二人の男も駆け付け、仲間の末路を悼んで暫し瞑目した。 「普通なら抜ける筈の弾が抜けてないね」 「脳内でマッシュルーミング化、ホローポイントだな」 「何処から情報が洩れたのかな……あっ!」  思いついてシドとハイファは顔を見合わせる。そして脱兎の如く走り出した。追い付いてきたロイがシドとハイファを交互に見る。その顔は蒼白だった。  辿り着いた第二憲兵小隊の事務所に三人は飛び込む。事務所内は惨憺たる有様だった。  四人の男と一人の女が額を撃たれ斃れていた。 「チクショウ、ふざけやがって!」 「それでも食事時で五人の被害で済んだと言うべきか」  妙に冷静なロイの言葉がシドを煽る。筋違いと分かっていつつシドはロイに噛みついた。 「仲間がこれだけ殺されたんだぞ! 情報が洩れた、洩らした奴は誰だ!」 「洩らしたのは、言いたくないが、たぶんウッズだ」 「ウッズが……どういうことだ?」 「元警察官で捜一所属だったウッズは汚職の嫌疑を掛けられて職を辞したんだ。それに対してSDBから復職をぶら下げられたと奴は笑って話したことがある。丁重に断ったとは言っていたが危ないと思って俺が張りついてたんだ」 「それでこのざま、ウッズ自身も弾かれたってことか?」  頷くロイをシドは睨む。切れ長の黒い目を煌めかせて更に迫った。 「死人に口なしだ、何とでも言えるだろうぜ」 「俺を含めて残った者を疑うのか?」 「どっちにしろ計画は洩れた。全てはご破算だぜ、くそったれ!」 「待て、何処に行く?」  掴まれた腕をシドは振り解く。長身のロイを見上げて吐き出した。 「攻撃BELに木っ端微塵にされるのは勘弁だ、俺たちは出て行く」 「頼む、待ってくれ。早まるな、バックアップもなしで出て行けばあんたらも危険だぞ」 「どっちがより危険か秤に掛けた結果だ。放っておいてくれ」  冷たく言ってシドはさっさと酸鼻を極めた事務所から出る。あとを追ってハイファが肩を並べた。足早に歩きながらハイファはバディの表情を窺う。 「本当に出てくの?」 「お前はここで安眠できるのか?」 「それを言われれば弱いんだけど、もう少し様子を見てもいいんじゃないかな?」 「どうすればそいつが可能だ?」 「寝床は替えるよ、勿論。でもこの基地っていう隠れ家を失くすのはマイナスじゃない?」 「仕方ねぇな、業務隊か?」  頷いたハイファと転進、外に出てまたてくてくと歩き、本部庁舎にある業務隊を目指した。  業務隊には当直の兵士が二人いるだけ、彼らにハイファス=ファサルート二尉は、『内容を明かせない緊急任務中』の中央情報局第二部別室員だということを告げ、シド=ワカミヤ二尉と共にBOQ、独身士官用宿舎の空きを借り受けることを申し出た。  中央のスーパーエリートの来訪プラス、シドの流血にビビった当直は慌てて空室を検索し、ヒットした二人部屋のキィロックコードを二人のリモータに流した。  本部庁舎や食堂にも近い、やや新しいユニット建築を積み上げた三階の部屋に二人は収まり、それから煙草を吸って少々気分のよくなったシドをハイファは宥めすかして、これも近くなった医務室へと引きずって行った。  医務室には課業外なのに例の中年拷問官、もとい女医がいて煙草を吸っていた。 「なんだい、不良患者はまた、どうしたってんだい?」 「うるせぇな、医者なら傷だけ診てろよな」 「今度こそ、その別の生命体を縫い閉じてやってもいいんだよ!」 「いいからさっさと診ろって、クソ……んが!」  引き攣った微笑みのハイファがシドの失礼な口を手で塞ぐ。本当に女医が糸と針を出したからだ。野戦病院は堪らない、シドもそれを目にして減らず口を閉じた。 「ああ、ああ、せっかくの綺麗な顔が台無しだ。ほら、向こうを向きな」  痕が残らないように再生液で洗い流し、消毒して合成蛋白接着剤と人工皮膚テープでの処置をする手つきは慣れたもので、見ているハイファにも何ら不安はなかった。  目立つガーゼは貼らずに治療を終えて女医は二人に命じる。 「そこのコーヒーを三つ持ってきな」 「ハイ」  サーバに湧いていたコーヒーを紙コップ三つにハイファが淹れ、手分けして持ってくるとひとつを女医に渡す。目で示されてシドはパイプ椅子に前後逆に腰掛け、ハイファは患者用の丸椅子に着席した。  女医が再び煙草を咥えたのを見てシドも遠慮なく吸い始める。 「で、話は何なんだ?」 「明日は予定通りに動くよ」 「計画が洩れたってのに脳天気が多いみてぇだな。蜂の巣にされるぜ」 「あの子たちを蜂の巣にしたくないんだ、協力してやってくれないかね」 「ふん。俺たち二人が参加したって蜂の巣は変わらねぇぞ」 「へえ、そうかい。音に聞こえた別室員はそんなに薄情なのかい」  シドはハイファを見た。ハイファは肩を竦める。最初に全て話してしまったらしい。 「そもそも四十五口径ホローポイント野郎に狙われてたのは、あんたたちだろう」 「あの襲撃が俺たちのせいだとでも言うのかよ?」 「自分の胸に訊いてみることだね」 「ふん、ネチこすぎるホローポイントには参ってるんだがな。それとこれとは話が別だ」  確かにホローポイントはシドたちを追ってやってきたのかも知れない。だがシドたちが招き入れた訳ではない。理不尽に煽られてもシドは動じなかった。  ただでさえイヴェントストライカ人生を歩んでいるのだ。己にできるだけのことをしたら、あとは後悔しない。刑事という仕事上、悔しいことも多々あるが、どんなことにでも全力を傾けたら、あとは恥じない。  そうでなければ積み重なるモノたちに押し潰されてしまうからだ。  今回の襲撃で失われた命まで背負うなどとは、それこそ驕りだとシドは冷静に思っていた。
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