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第65話
「でも手薄になったとはいえ、まだベンヌ上空にアルゴー軍がいるんだよね?」
ダグラ島第二宙港の冷凍マグロを思い出しながらハイファが言う。
「それでも民間艦なら大丈夫だとタカを括っている人々が多いでしょう」
「本当にマーリンたちに食料が届けばいいなあ」
「それもそうだがハイファ、FCの艦までデモ隊に分捕られねぇように一報、入れとけよ」
「うん。……あ、ニュースでヘクター=シャタンの声明発表だって」
合わせっ放しにしていた電波帯のニュース音声をハイファは少し大きくする。
《――しかるが故に、皆、落ち着いて行動を謹んで貰いたい。我々は負けない。今、再びの大会戦を前にして逸る気持ちも分かる。だが星民の総意を得て戦いに出向かんとする――》
それはヘクター=シャタンの肉声でなくアナウンサーの読み上げだった。
「何だか大した内容じゃないみたい」
「次代の最高指導者が消えて、それどころじゃねぇのかも知れねぇな」
「もうバレたのでしょうか?」
「ガードの一人は肩をぶち抜かれただけだ、口は利ける。大いにあり得るな」
「いよいよ指名手配だね。……あ、発振だ。FCの艦、あと一時間で着くってサ」
「そうか、いい時間かも知れねぇな」
デモ隊を避けて迂回に迂回を重ねながらタクシーは低速で走っている。窓外は家屋も少なく畑や森が多くの土地を埋め、外灯も間遠で、いよいよ夜闇が深くなってきていた。
そして宙港まであと二キロを残してシドはタクシーを停止し接地させる。クレジット精算をして降り立つと地面はファイバではなく土を押し固めたもの、あちこちに草が生えだして農道のようだった。迂回しているうちに人があまり通らない道に入り込んだらしい。
三人でまずはマップを確かめた。
「このまま森と畑が宙港の北端まで続いてるな。近場までこれで行こうぜ」
「近場まで行ったらデモ隊に紛れるの?」
「場合に依る。余程大人数でなければ、紛れ込むのは却って不利になるからな」
「そっか。じゃあ、どうするの?」
「宙港は全長三キロ、広さは有利だ。デモに人手を取られれば何とでもなるさ」
簡単に言ったシドにつられてハイファはややリラックスする。ハイドラも硬い顔を少し和らげたように見えた。そのまま無造作に森に踏み入るシドのあとに二人は続く。
森といっても人の手が入ったもので、リモータのバックライトのみでも見通しは悪くなかった。だが足元にはふかふかした枝葉が積もっていて、つまずかないように一歩一歩を高く上げなければならない。お蔭でハイファはすぐに口を利く余裕がなくなった。視界の悪いシドも歩きづらそうで、だが息も乱さないのはさすがだとハイファは思う。
一方でハイドラもずっと口を噤んでいた。無血で逃げおおせるために布石は打ったが、既に事態は自分たちの手を離れて転がりだしている。何処に着地するのか、着地できるのかすら分からない不安とハイドラも戦っているのだ。白い横顔は冷たいまでに無表情だったが、ハイファはそれを綺麗だと素直に思った。
クルーエル・ネットワークを構築しテラの知恵であるSSCⅡテンダネスまでをも謀った男は、星系ひとつの政治形態まで早回しで変えることで自分に着けられた枷を外そうとした。
今回は果たせなかったが、まだこの男は自分なりに戦って生きてゆくのだろう。
歩き始めて四十分以上が経過し、シドがふいに足を止めた。
「ゴールが近いぞ、気を付けろよ」
前方を透かし見たハイファは宙港施設独特の、ぎらつくようなライトを目に映す。あまりの明るさに空までがボウッと燐光を放っているようだ。森の終わりは目の前で宙港の外柵沿いにはぐるりと小径が巡らされている。これは宙港警備部が巡回することもある径だ。
外柵は高さが三メートルほどもあり、上部にはIR、いわゆる赤外線監視システムが仕掛けてあった。誰かが外柵を乗り越えると赤外線が遮られて警備に知らされる仕組みである。
スタンレーザーまで仕掛けてあるかどうかはハイファには分からなかった。
それらを眺めていると発振が入ってビクリとする。
「あーあ、僕とシドのポラがニュースで流れちゃったよ」
「私は……流れてませんね。日頃の行いでしょうか?」
「どの口で言ってやがるんだ? 俺たちが指名手配ならあんたは極刑だろ」
「私は法に触れるような罪は何も犯してはおりませんので」
「ふざけんな、ポラなんかなくてもいいくらい、極悪人の顔は売れてんだよ」
見た目ヘクター=シャタンとの血の繋がりが否定できないハイドラは嫌な顔をした。
「ふん。……ハイファ、FCの艦はまだか?」
「うーん、そろそろだと思うんだけど……あっ、《五分後、H‐9区画に着艦》だって」
ここでマップを再度確認、H‐9区画は宙港メイン施設からかなり離れ、ここからも一キロほどの距離があることが判明する。直線距離なら十五分だが、そうもいかないのは承知だ。
「乗ったらすぐに出航可能なように連絡しとけ」
「指名手配犯を匿った疑いで臨検されたら拙いもんね」
「それだけじゃねぇ、さっきも言ったがダグラ島行きとしてチャーターされても困るからな」
「で、どうするんですか?」
訊かれたシドは暫し目を細めて外柵を眺めたのちに宣言した。
「艦に近い位置に移動、デモ隊の宙港突入と同時に侵入する」
早速、三人は森の中をまた歩き始める。三分くらいで森を抜け、辺りは畑となった。森の中より蒸し暑いように感じる夜気を吸いながらハイファは喉の渇きを我慢して歩く。
やがて艦まで一番近いと思われる地点に辿り着き、足を止めた三人はハイファのリモータでニュースに見入った。ニュースではライヴでデモ隊を中継していたからだ。
デモ隊はもう三千人以上となっていて、この星では珍しい事象としてレポーターもお祭り騒ぎに半ば参加しているような具合である。
対してこちらの関心事である軍や惑星警察の動きは鈍かった。殆ど宙港警備部に丸投げ状態で、軍や警察はデモ隊に張り付いてはいるものの、特に目立ったことはしていないようだ。
「けど宙港内、メインビルの隣にも軍は居を構えてやがったからな」
「『次代の最高指導者と誘拐した犯人』に神経を尖らせているでしょうね」
「捕まったらどうなっちゃうのかな?」
「次代の最高指導者に恩赦を頂くしかねぇな」
だが冗談でなく下手をすれば射殺モノ、慎重にタイミングを見極める。
「今、デモ隊本陣がメインビルエントランスから入ったよ!」
「そのまま突破して宙港面になだれてくれるといいけどな」
そう言ってシドは目前の外壁を見上げた。心なしか遠く宙港メイン施設方向から大勢の人間が発するざわめきが感じられる。巨大な宙港は数万の人間を収容可能、三千人が大人しくしていては陽動にはならない。
と、ニュースレポーターがデモ隊本陣の宙港面突破を妙に嬉しそうに告げた。ざわめきが大きくなる。宙港内の軍部も出動、だが撃つ訳にもいかない相手を前に兵士も困惑していた。
「よし、行動開始だ」
外壁沿いの小径に一旦出ると少し退がったシドは軽く弾みをつけて壁に走り寄る。壁の中腹に一歩足を掛けて上部に片手を載せると、次には軽やかに外壁の上に飛び乗っていた。スタンレーザーは仕掛けられていない、ラッキィだ。
次はハイファが壁に飛びついた。シドの差し伸べる手を掴むと引き上げられる。壁の上から下を見ると意外な高さで思わず身が竦んだ。赤外線を遮ったままなのだ、飛び降りなくてはと思うが動けない。その間にハイドラが引き上げられる。シドが真っ先に飛び降りた。
「ハイファ、こい!」
その声に思い切って壁を蹴る。力強い腕に抱き留められ、宙港面にそっと降ろされて安堵した。だが次にはシドがハイドラを同じように抱えたのを見て、ハイファは少しイヤな気分になる。ハイドラが一瞬シドを眩しそうに見上げたのも気に食わなかった。
しかしその場でのんびり思いに耽っているヒマはない、警備か軍が駆け付けるまで時間がない。シドとハイドラを追ってハイファも駆け出した。
ギラギラとライトが照らす宙港面は白いファイバブロック製、照り返しで目の底が痛いくらいだ。その代わりに停泊する宙艦群の影は濃い。それらを飛び石のようにして三人は走る。
「ハイファ、艦名は何だってか?」
「アズマ運輸のヒュウガ号だよ」
「あと五百メートルくらいでしょうか」
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