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遥かなるニライカナイ
那覇空港の出口近くには、大きな水槽が飾られていた。珊瑚礁を泳ぐ、色とりどりの熱帯魚。キャンディスティックのようなチンアナゴまでいて、砂から顔を出し、ゆらゆらと水の中で揺れている。
本当は、一人で来るはずじゃなかったのに、とわたしは思った。
二年付き合った彼氏と二週間前に別れた。沖縄旅行はキャンセルもできたけれど、せっかくとった二十代最後の休みを家で過ごすのも癪に触って、失恋旅行のつもりでそのまま来てしまった。来てはみたものの、周りは幸せそうなカップルばかりで、余計に気持ちが沈む。
ため息をついたところ、隣から、「お一人ですか」と声をかけられた。
同世代くらいだろうか。老婆を載せた車椅子を押す、若い男性だった。
Tシャツを着て、ひょろりと背が高く、黒髪で目は糸のように細い。イケメンとは程遠い外見に、新しい出会いか、と一瞬期待した自分を呪いたくなる。
「ええ、まぁ」
「あ、ごめんなさい。同い年くらいかな、って、ついつい。ばあちゃんも殆ど喋らないし」
青年が頭を掻き回しながら微笑むと、細い目がより細くなって、思いの外優しそうに見えた。
改めて車椅子の老婆の方に目を落とす。小柄な白髪の老婆の褐色の肌には年輪が刻み付けられ、口を真一文字に結び、皺の向こうには青年とよく似た細い目があった。何気なく老婆の手元に目をやった時、何かを握りしめているのに目が留まった。
視線に気づいたのか、
「ああ、それは、ウチカビというんですよ」
と青年が言った。
「ウチカビ?」
「あの世で使うお金なんですって。沖縄ではお墓参りの時、供えるんです。向こうで困らないように、って。婆ちゃんが、家出る時からずっと離さなくって」
老婆が握りしめているそれは、傍目にはただの紙切れのように見えた。
「お墓参り、ということは、ご実家が沖縄なんですか」
「いいえ。僕は神戸生まれ、神戸育ち。沖縄も実のところ、今日が初めてです」
「となると……お婆さんのご関係で、ってことですか」
だんだん、この二人組に興味が湧いてきているのは確かだ。
「まぁ、そういうことになりますね。僕も今回のことが起こるまで、全然知らなかったんですが、ばあちゃんが沖縄出身だったんです。僕の母だけがそれを聞かされて知ってたんですが、後は誰にも言わずに、神戸の人間として生きてきたんですね。ばあちゃんが」
遠い目をして、青年が言う。何か理由が? と問うと、少し長い話になりますよ、と前置いて彼は話し始めた。
「ばあちゃんは生き残りだったんです」
「生き残り?」
「そう。太平洋戦争末期にね、沖縄には洞窟を利用したガマ、って防空壕がたくさんあったんですって。終戦の直前に、沖縄戦の最中、婆ちゃんたち一家はみんなと一緒にガマに避難したんだそうです。ばあちゃんが六歳の時。四歳の弟と、ひいばあちゃんと一緒にね」
食べ物も尽きるなか、それでも六歳の少女は、狭い洞窟の中で石で遊んだり、絵をかいたりして希望を捨てていなかったという。
「それがね、ばあちゃんが、ある晩、大人の話を聞いてしまったんだそうです。――明日、アメリカ軍がここに攻めてくる。みんなで自決するしかない、ってね」
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