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彼との出会いは、唐突だった。
私が買い物のために街中をふらついていた時、後ろから声をかけてきたのが彼だった。
「すいません。少しいいですか」
落ち着きのある、重低音の声色は意識がはっきりしていなかった私の耳に自然と溶け込み、私はやおらに振り向いた。
「あっ……」
女の私より一段と背丈が高く、逞しい肩幅。黒髪をしっかりセットしていて、真面目な好青年といった感じだった。
「ふらついて歩いているようで心配になって……あ、凄いクマじゃないですか」
この頃私は不眠症に悩まされていた。三年付き合っていた彼氏に浮気されていたのが原因だった。
きっと今の私は酷い顔つきなのだろう。そしてその顔を目の前の彼に凝視されていると意識すると、恥ずかしくていたたまれなくなった。
「すいません、ほっといてください」
早くこの場を去ろう。そして私は彼に背を向ける形で逃げようとした時、私の右腕が何者かに掴まれた。
私が後ろを振り向くと、驚いた表情で私の腕を掴む彼の姿が。
「何するんですか」
軽く睨むと、彼は少し萎縮した様子だった。
「ま、待ってください。私、こういうものでして」
そして彼は胸ポケットから一枚の名刺を差し出してきた。
失礼な男の名刺を読む気は起きないが、軽く眺めてみると、どうやら薬剤師らしい。
「よく眠られていないのなら、睡眠薬はいかがですか? 私が働いている薬局がこの近くにあるんですよ。生憎今日は休みなんですけどね」
ハハッ、と見た目に反して無邪気に笑う彼に一瞬ドキッとしてしまう。
(いやいや……男なんて全員クズなんだから勘違いしちゃダメよ)
しかし不眠に悩まされていることも事実だし、特別対策してきたわけでもない。
それで眠れるのなら、一度行ってみてもいいかもしれない。
「それじゃあ、明日にでも伺ってみます」
「本当ですか! それじゃあ楽しみに待っていますね」
薬を貰いに行くだけなのに楽しみにするのも変な話だが、気にする様子もなく笑う彼は悪い人ではないのだろう。
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