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俺は繁華街から少し離れた高台にある、低層の高級マンションを出た。なんでも有名なデザイナーの手によるものだとか。言うまでもなく親の持ち物だ。俺が大学に合格するのと同時に購入し、卒業まではここに住むよう父親から言われた。仕送りは一切ない。マンションのキーと一緒にクレジットカードを渡され、あとはほったらかしだ。こっそり母親に聞いたところ限度額は気にしなくてよいとのことだったので、言われた通り気兼ねなく使わせてもらっている。卒業後は入れ替わりで親がここに住む予定になっているが、あいにく俺はここが気に入っている。交通の便は悪いが、この高級マンションは何かと使えるのだ。第一、ここに住み続ける限り家賃がかからない。父親は文句を言うだろうが、母親が味方になってくれるはずだ。
外は予想以上の蒸し暑さだった。おまけに風一つない。これじゃまるで風呂場の中だ。歩くと次々に汗が吹き出してくる。今夜はなにかと血の巡りが良くなっているのでなおさらだ。
高級住宅街はコンビニが遠い。それに周りは静かで暗い。この時間になると人も車もまったく通らない。本当だったらこんな退屈な場所は遠慮したいところだが、あのマンションに住むメリットはそれよりもずっと大きい。
公園の横を通り住宅街を抜け、急な坂を下った先にコンビニがある。俺は店内に入るとしばらく雑誌をめくりながら汗が引くのを待った。皮膚が急激に冷えていくのが心地いい。店内には常に数人の客がいるので目立たなくて助かる。
しばらくして俺はビールとハイボールのロング缶をかごに入れ、レジに差し出した。若い女性アルバイトがバーコードを読む間、俺は彼女の首筋から大きな丸い膨らみを目でたどり、その先端でぼんやりと目をとめた。会計を済ませて店を出た時、俺は彼女の顔を見ていなかったことに気がついた。
コンビニで冷却した体はあっという間に熱を取り戻し、背中をとめどなく流れる汗がまたしても神経を逆撫でする。
坂を登りきったところで額の汗を手首で拭った。自分の汗だが、気色のいいものではない。それから住宅街を進み、ようやくマンションが見えてくると、俺は暑さに耐えきれず歩みを早めた。だがその瞬間、汗が目の中に流れ込んだ。
「くそ!」
俺は足を止めてきつく目を閉じた。やがて痛みが落ち着いたので先を急ごうとしたその時、俺は再び足を止めた。
そこはマンションのすぐ近くにある見慣れた公園だった。それほど大きくはないが、いくつかの遊具に砂場、そしてボール遊びができる程度の広場があり、昼間は子供が集まり割と賑やかだ。しかし場所柄、夜になるとひとっこ一人いなくなる。
俺が足を止めたのは、公園の奥、大きな樹の下に設置されたベンチに誰かが座っていたからだ。公園にも街灯はあるが、ベンチは暗くてよく見えない。
俺は目を凝らした。分かるのはそれが一人であること、そして女であること。体つきは細く、意外と若いようだ。
夜になれば人も車も消え失せてしまう町だ。そんな町の公園に女が一人で座っている。しかもこんな時間に。酔っ払い? ヤバい人? 幽霊? まさか。
俺はあれこれと想像を巡らしたが、暑さで茹だった頭ではそれもほんの一瞬のことだった。
なんだっていい。そこに暇そうな女がいる。
俺は公園に足を踏み入れた。
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