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あたかもこれが近道であるかのように、そして女の存在などまるで気づいていないかのように、俺はゆっくりと公園を横切り始めた。
視界の隅で女が顔を上げるのが分かった。俺はそのタイミングで足を止めるとベンチに顔を向け、少し驚いた仕草をした。樹の間から薄く差し込む明かりに女の顔が晒された。女はすぐに下を向いたが、その前に俺は最初の品定めを終えていた。そして自分の幸運にほくそ笑んだ。
少し思案し——もちろん『ふり』だが——俺は女に近づいた。女は肩をこわばらせ、緊張しているのが分かった。俺はある程度の距離をおいて声をかけた。
「あの、大丈夫ですか?」
近所に住む気のいい青年が具合の悪い人を気にかけている。そんなところだ。
女は黙っていたが、やがて小さな声で「大丈夫です」と答えた。
「具合が悪そうですけど、救急車呼びましょうか」そう言って俺はさらに女に近づいた。
どう考えても救急車など大袈裟に決まっている。だがここがポイントだ。そして結果は期待通りだった。
女はびくりと顔を上げ、慌てて首を振った。
「本当に大丈夫です」
特に酔っている様子もない。
「本当ですか?」俺は女の斜め横に立った
「ええ」
三十歳くらいだろうか。塩顔、とでも言うのか、すっきりした目元に小ぶりな鼻と唇、髪を後ろで結んでいるため、真っ白な首筋がよく見えた。
俺の心臓は浮きたった。
「そうですか。それならいいんですけど」俺はわざとらしく頭の後ろをさすった。「いやあ、あぶなく救急車呼ぶところでしたよ」
女は唇をほんの少し緩めると、両手をスカートの上で重ねた。
俺はその細い指先から太もも、腰、薄めの曲線、そして首筋まで視線を這わせた。白いうなじはしっとりと濡れていて、ほつれた髪が張り付いている。
「それにしても夜中だっていうのに暑いですね。この湿度にもうんざりです」俺は女の胸元を見下ろしながら言った。「こんなとこにいたら、それこそ具合が悪くなりますよ」
女はか細い声で「そうですね」と言った。
女の傍らには布製のトートバッグが置かれている。何でもないただの袋だったが、やけに薄っぺらいのが気になった。
「そうだ」
俺はコンビニの袋を広げながら、当たり前のように隣に腰をおろした。
「熱中症になるといけないから水分補給したほうがいいですよ」そう言って袋から缶を取り出し女に差し出した。「これどうぞ。ハイボールですけど」
俺は笑顔を作った。女は微笑みながら手の平で押し返すようなジェスチャーをした。
弱い風が吹いた。
むせ返りそうな湿気に乗せて女の匂いがした。服に残る柔軟剤の香りと、その向こうから微かに漂う汗の匂い。
強い酒を一気に流し込んだ時のように鼓動が早くなり、俺はめまいにも似た感覚におそわれた。
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