2.みちびく蟷螂

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 架空口座に入るお金は私の想像以上だった。三等分しても大学の費用くらいはすぐに貯まるのではないかと思えた。  ところがある昼休み、男から近くのファミリーレストランに来るよう連絡がきた。外は梅雨が明け、うだるような暑さと湿気だ。私は躊躇したものの断ることもできず、日傘を持って指定されたレストランに向かった。男はそこで落ち着かない顔で私を待っていた。私は嫌な予感がした。  来月、監査が入る。男はそう告げた。すぐに証拠を消さなければ全てばれてしまう。悪いが小遣い稼ぎは終わりだ。  私は混乱した。なぜバレるの? データ上の辻褄はあっているはずでしょう? 私は声を細めて男に詰め寄った。  男は唇を噛んで言った。うちの会社じゃない、取引先に対する監査だ。だがそこで例の口座への入金が明るみに出れば、あとは芋づる式だ。  私は心臓が破裂しそうだった。もしそんなことになったら私が捕まるのは時間の問題だ。こんなことに手を貸すんじゃなかった。私は激しく後悔した。お金は全部返す。だから許してほしい。  すると男は私の気持ちを見透かしたかのように、もう遅いんだよと言った。俺とお前はもはや一蓮托生、諦めろと。しかしすぐに男は、俺だって捕まりたくはない、後始末はこっちでやるから心配するなと笑った。そして私にはあの取引先への発注をストップするよう指示した。  最後に男は、これできれいさっぱり終わりだ、と言い残して店を出た。  それから数日して男が会社を辞めたことを耳にした。自主退職とのことだった。私は慌てて秘密口座を調べたが、すでに残高はゼロだった  私はその時になって全てを理解した。私の小さな悪事を見つけたときから、男の狙いはこれだったのだ。体の関係など「ついで」にすぎなかった。私を共犯として利用し、お金は全て自分が頂く。発注先に監査が入るとことも事前に知っていたのかもしれない。だからそのタイミングに向けて退職の準備を進めていたのだろう。  男は自分の言葉通りさっさとこの犯罪を切り上げたのだ。おまけに自分の身を守るための予防線も張っていた。万が一監査で何かが出てきたとしても、捜査上に浮かび上がるのは私だけなのだ。口座を作ったのも、例の取引先への発注処理を行ったのも、全部私だからだ。今になって、男の発注処理も私が代行していたことを思い出した。  用意周到な男だ。今頃はどこか遠くに行ってしまっているだろう。そういえば東南アジアへの赴任経験があると言っていた。
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