三章:お父さんとのバトルはニチアサに

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 それで終わるならまだ良かった。クラスのみんなも、ぼくが大変だってことを知っていたから。本当の問題は、“名札をつけましょう運動”が、学校中に広まってしまったことだ。なんでも誰かが親にその話をしたらしくて、それがPTA会長の耳にも入ってしまった。 「ぜひ全学年、全クラスで行いましょう」  お肉がたっぷり詰まったお腹を揺らしながら、会長は校長先生に言ったらしい。その次の次の日には、全校生徒に名札が手わたされていた。  それでも、まだそれだけなら良かった。いや本当は良くないけれど、なんとか我慢できた。ただ悪いことは続く。おせっかいな会長さんが、夕方のテレビニュース『ぼくの、わたしの学校じまん!』に投稿し、それが採用されてしまったのだ。 「みんな。すばらしい取組みなんだから、胸をはりましょうね」  生活指導の先生やPTAのおばさんたちは、能天気にぼくたちの肩をポンとたたく。「ファイト!」なんて言いながら。でもきっと、八割ぐらいの生徒は乗り気じゃなかったと思う。瀬尾さんみたいに使命感に燃えてた人は、たぶん全体の一割ぐらい。ほんの一握りだ。  ちなみに瀬尾さんは、発案者としてテレビ局のインタビューを受けていた。よそ行きの服で、ハキハキと受け答えしている。彼女がいればぼくが質問に答えなくても大丈夫。そう思ったぼくは、ていねいに出演をお断りさせてもらった。  そして最後の一割。それは悪意を持った人たちだ。さらにその中には、悪意を行動にする人たちもいた。たしか最初の悪意は、「わたしの学校じまん!」が放映された三日後だったと思う。ぼくの上履きが、昇降口のゴミ箱に捨てられていた。  憂うつな月曜日は、ほどなく火曜、水曜と広がって。土日以外は休み無し、となるのに時間はそれほどかからなかった
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