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さすがに二日に一回は洗たくが大変だったんだと思う。お母さんの命令によって、トイレタイムが設けられることになった。夜なかの二時すぎになると、お母さんはぼくの部屋にやってくる。
「ミノル、おきなさい」
うっすらとまぶたをあけると、えべっさんが目の前に飛びこんできた。真夜中でも、お母さんはマスクを被っている。いっしょにいる時間が、家族で一番多いお母さん。だからぼくはいつも「マスクしなくてもいいのに」と言っていた。でもなにかと理由をつけて、マスクを外すことはなかった。その理由も毎回ちがっていて、よくそんなに思いつくなぁといつも感心していた。ちなみに今日は、「すっぴんで、はずかしいからね」だって。
どうせ顔を覚えられないんだから、お化粧をしてもしていなくても関係ないのに。そう言ったら、「それはそれ。オトメのたしなみよ」と、人さし指でぼくのおでこをコツンとはじいた。トイレをすませたら、まだ少し暖かいフトンにぼくはもぐり、お母さんは毛布を肩までかけてくれる。そして最後に、部屋のすみに向かっていつものあいさつをする。
「じゃあ、ねむち」
闇にかくれている誰かさんと、仲良くなるための魔法のことば。お母さんが教えてくれた。
「ねえミノル。怖いっていうのはね。何だかわからないから怖いの。オバケだってそうでしょ。どんな姿をしてるかわからないから、みんな怖がるの。だから昔の人は、オバケや妖怪なんかを絵に描いたのね。姿がわかっちゃえば平気だもの」
「そうかな……姿がわかっても、オバケは怖いよ」
「あらあら。ミノルはオバケなんて怖くないんじゃなかったかしら」
いつもはポーっとしているのに、こんなときだけやけに鋭い。図星だったぼくは、頭まですっぽりとフトンを被る。
「じょうだんよ、じょうだん。すねないの。でもね、闇から見てる誰かさんと、仲良くなれたらいいと思わない?」
「なれたら、トイレに行ける?」
「行けるわよ、だって仲良しなんだもの」
フトンから頭を出して、お母さんを見上げる。うす暗くてよく見えないけれど、細くて長い手の影が、頭を優しくなでつけてくれた。
「だからミノル。明日になったら“誰かさん”を想像して、似顔絵を描いてごらんなさい。そうしたら、すてきな名前をお母さんがつけてあげるから」
その日お母さんは、ぼくが眠るまでずっとそばにいてくれた。
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