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第13話 森の中の寺院
暗闇の中で蝋燭の炎が煌々と燃えていた。洞窟の奥深く、周囲を煉瓦の壁に囲まれた無音の空間の中、炎は少しも揺らぐことなく真っ直ぐに立っている。
シーシンが出家して一介の僧として在籍する寺はアユタヤ王宮から遠く離れた森の中にあった。出家は王宮で実権を握るようになったシーウォラウォンの魔の手から逃れるためのものだった。とはいえ、僧としての修行には日々真剣に取り組んでいた。王位に就くまで長く出家して修行を積んでいた兄のソンタムの影響も少なからずあった。この日も境内の丘に掘られた洞窟に篭って瞑想に励んでいた。
あぐらをかくような姿勢で両足の先を反対側の太腿に乗せ、その上で両手の親指を合わせて輪を作る。そして次々とやってくる雑念を受け流しながら薄目で蝋燭の炎をじっと見つめていると、徐々に意識がそこに吸い込まれていく。自我の感覚が薄くなり、空間と調和していく。
どのくらいの時間が経過したろうか……。ふいに洞窟の入り口のほうから物音が聞こえた。目を開けると、蝋燭の炎に少年僧のティンがぼんやりと照らされていた。シーシンと同じように髪の毛を眉を剃っており、右肩を出して袈裟を着ている。
「ティンか。どうした」
「お客様が来られています」
「客……? 誰だ」
「山田と名乗る日本人です」
——山田長政か……!
その名前にシーシンの心はざわついた。長政がいったいなんの用で来たというのか。まさかシーウォラウォンの使いとして……。
「どうしましょう。帰ってもらいますか」
「ひとりで来ているのか?」
「はい、ひとりです」
「会うだけなら会ってもよいが……。客殿に通しなさい。それと、刀を持っていたら必ず預かってから境内に入れるように」
「わかりました」
ティンは洞窟を出ていく。戻った静寂の中、シーシンは大きく深呼吸して再び目を閉じる。心が落ち着くのを待ってから重い腰を上げた。
洞窟を出ると太陽の眩しさに目を細めた。その日差しの中で彼の着ている袈裟が甘く熟した蜜柑のような鮮やかな色を発する。顔も露わになった。輪郭はやや丸みを帯びているが、その凛々しい目元は兄のソンタムを彷彿とさせた。
長政は客殿の板張りの床に正座して待っていた。シーシンが姿を見せると、額の前で両手を合わせ、それが床につくまで頭を垂れる。
「シーシン殿、大変ご無沙汰をしております」
「よせ。私はもう王家の人間ではない。それより、今更私にいったいなんの用だ」
シーシンは長政と向かい合って腰を下ろした。刀はティンに預けたのだろう、彼はその紺色の袴にはなにも携えていなかった。
「単刀直入に申し上げます。すぐに王宮に戻ってきていただけませんか」
「処刑されるためにか」
「とんでもない!」
「私がなにも知らないとでも思っているのか。シーウォラウォンはジェッタを傀儡にして王宮で非道の限りを尽くし、邪魔な人間を次々と処刑しているそうではないか」
「おっしゃるとおりです。しかし、それはこの国を想う気持ちがあまりに強すぎるが故。まだ若すぎるジェッタ殿が王位に就いたことを快く思っていない者は多く、少しでも謀反の可能性のある者を次々と手にかけてしまっているのです。それにしても、その行為には目に余るものがあります。シーウォラウォン殿がジェッタ王の補佐として不適任であったことは大官たちすべてが認めています。そして、この後任にはシーシン殿こそが相応しい、と」
「それについてシーウォラウォンはどう言っている」
「本人も自分が力不足であったことを認めています。お願い申し上げます。どうか王宮に戻ってきてください。そしてこの国を救ってください」
長政はそう言って深々と頭を下げた。しばらくして頭を上げた彼の目をシーシンはじっと見つめた。水晶のように澄んだ瞳にシーシンの顔が映っている。人を見る目にはそれなりに自信があった。それはとても嘘を吐いている者の目には見えなかった。
「ふむ……」
シーシンのほうから視線を逸らした。日本から来た勇敢な侍。かつてソンタムが彼のことをそう呼び、高く評価していることは知っていた。彼に関する悪い噂も一度も聞いたことがなかった。そのような男が人を陥れようなどと考えるだろうか。
——しかし……。
揺れる心。しばらくして決意した。
「長政よ、遠路はるばるご苦労であった。今日はこの寺でゆっくり休むといい。明朝、そなたといっしょに王宮に戻ることにしよう」
「ありがとうございます!」
長政はまた深々と頭を下げた。
翌朝。シーシンは寺の他の僧侶たちに別れの挨拶をし、生活用具一式を包んだ風呂敷を背中に担いだ。長政は境内の入り口で栗毛の馬に乗って待っており、その傍でティンが大小二本の刀を胸元に抱えて立っていた。
シーシンは長政の手を借りて馬の背中に上がった。
「道中お気をつけて」
ティンはそう言って額の前で両手を合わせて合唱する。
「おまえも元気でな。これからも修行を怠るでないぞ」
長政はティンから刀を返されると、それを袴の帯に差す。そして後ろのシーシンに振り向いて言った。
「では、行きましょう」
手綱を握って馬の腹部を足で圧迫すると、馬は颯爽と駆け出す。山の谷間から上がったばかりの太陽が新鮮な日差しを降り注ぐ中、馬の蹄が大地を蹴る音が高らかに響き渡った。
その日の昼過ぎにアユタヤに到着した。城壁の門を潜って城下町に入り、そこからは街並みの景色をゆっくりと眺められるくらいの速度で馬を歩かせる。通りをたくさんの人々が行き交っているが、誰ひとりとしてかつての王弟であるシーシンの存在には気付かない。袈裟を着て剃髪もしているためである。ときおり、彼に合掌して笑みを向けてくる者はいたが、それも王家の人間としてではなく、一介の僧としてであろう。が、それが彼を温かな気持ちにさせた。王家の人間として盛装をしていたときには決して見ることのなかった国民の自然な表情だった。
「いかがですか、久しぶりの城下町は」
「なにも変わっておらんな」
「そうですね。王宮内ではいろいろなことがありましたが……」
二重構造になった城壁の門をまた潜って王宮の敷地内に入った。二人が馬を降りると、衛兵が宮殿のほうへ走り、ひとりの大官を引き連れて戻ってくる。その大官はシーシンの前にひれ伏して言った。
「シーシン殿、よくぞ戻られました。ジェッタ王とシーウォラウォン殿もお待ちです」
長政もシーシンに言う。
「私はここまでで、ここから先はこの者が案内いたします」
「うむ、ご苦労であった」
長政とはそこで別れ、大官に先導されて歩いた。その途中、大官は小さな建物に立ち寄り、そこでシーシンに光沢のある純白のシルク服を差し出して言う。
「こちらに着替えていただけますか」
「なぜだ」
「すぐにでも王の補佐としての執務に取りかかれるよう、僧侶としてではなく、王宮の貴族として王の前に立っていただきたいのです」
「……そうか。わかった」
シーシンは袈裟を脱いでシルク服に着替え、壁に掛けられた大きな鏡の前に立った。貴族だったときには日常的に着ていた服だった。が、もうすっかり袈裟になれ、剃髪もしているためか、どことなく違和感があった。
そのあとは外宮へ通された。剣を腰に差して武装した衛兵がずらりと並ぶその先にシーウォラウォンが立っていた。その細い目付きの冷酷な顔を一瞥した途端に込み上げてくる嫌悪感。それを堪えて声をかけた。
「久しぶりだな、シーウォラウォンよ」
しかし、彼はそれになにも答えず、体を横に向けて腕を組んだまま視線だけをシーシンに向ける。その不遜な態度に怒りが湧いてきた。
「おい、聞いているのか!」
そこでようやくシーウォラウォンは口を開いた。
「わざわざ僧服を脱いでお越しいただけるとは……。誠に恐縮でございます」
シーシンはその言葉にすうッと血の気が引いた。
「貴様、それはどういう……」
「王への反逆者、シーシンを捕らえよ」
シーシンは衛兵二人に両側を挟まれて両腕を取られ、前のめりに床に倒された。そして、自分の身になにが起こっているのか状況の理解が追いつかないまま両手を背中で縛られていた。
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