第2話 信長の血を継ぐ男

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第2話 信長の血を継ぐ男

 和紙を貼った木枠で四方を覆われた行灯が夕日のような橙色の光を放っていた。小さなマリア像がそれに照らされて暗闇の中に神々しく浮かびあがっている。両手を広げて穏やかな笑みをたたえていた。  アユタヤ日本人町の教会である。フランシスコ・ザビエルによって日本に伝えられたキリスト教は、その後、幕府の発令した禁教令によって信仰を禁止された。が、それでも信仰を捨てなかった人々がいた。その多くは表向きは仏教徒の振りをした隠れキリシタンとして生きていたのだが、一部は朱印船に乗ってこのアユタヤに逃れてきていたのである。 「それでは……」  左京が沈黙を破り、畳敷きの広間に車座になった人々に視線を巡らせた。行灯に近い場所に座る人はかろうじて顔を識別できたが、少し離れると、その体の輪郭を光でうっすらと縁取られているだけで誰なのかほとんどわからなかった。 「長政がまだ来ていないようだが、そろそろ始めるとするか」 「ああ、そうしよう」  暗闇の中から野太い声が返ってきた。顔は見えなくてもその声で誰かわかった。怪力自慢の後藤高虎である。 「先日のビルマ軍との戦いで命を落とした城井久右衛門殿の後任であるが、誰か推薦はあるか。立候補でもいい」  久右衛門は日本人町の頭領と義勇軍の部隊長を兼任していた。その後任を決まるので今回の寄合の目的だった。この教会は日本人町の寄合所としても使われていた。 「長政殿以外にありえないだろう」 「あのときだって長政殿がしんがりを務めてくれなかったらいったいどれだけの被害が出ていたことか」 「はじめから長政殿でよかったんだ」  参加者は次々に長政の名前を口にする。高虎もこう言葉を続けた。 「なんと言っても、長政殿は織田信長公の末裔であるからな」  その言葉にみな一斉に色めき立つ。 「天下布武の旗をこのシャムの地に立ててやろう」 「我ら侍の力を思い知らせてやるのだ」  左京は苦笑いで顔をうつむけた。長政は自分が織田信長の末裔であると吹聴していたことがあった。が、それが嘘であるということは、彼と二人で酒を酌み交わしたときに彼自身の口から聞かされていた。  アユタヤ王朝に仕える日本人義勇軍はシャムに渡る前に関ヶ原や大坂の陣などの大きな戦を何度も経験してきたつわものばかりだった。左京も瀬戸内海を活動拠点とする村上水軍の出身で、関ヶ原では西軍に属して戦っていた。  唯一、日本国内で実戦経験がないのは長政ひとりだけだった。長政は母親の再婚の嫁ぎ先である駿府の紺屋で育ち、剣術は地元の寺小屋で流れ者の武芸者から習っただけであるという。彼はそれを引け目に感じており、それを払拭するために信長の末裔であるという嘘を吐いていたのだ。  はじめのうちは長政の嘘を誰も真に受けていなかった。が、その後の日本人義勇軍での彼の勇猛果敢な戦いぶりから徐々に信じられるようになっていった。そして彼らが信長に抱いていた尊敬と憧憬の念はいつしか長政にも向けられるようになっていたのである。 「では、後任には長政が相応しいと思う者は挙手を」  左京がそう言うと、暗闇の中に二十四の手が上がった。全会一致である。長政が信長の末裔というのが嘘であるとはいえ、彼が久右衛門の後任に相応しいということについては左京も異論はなかった。 「決まりだな。本人不在で勝手に決めてしまうのは忍びないが、久右衛門殿の後任は長政ということで」 「よし、では、せっかく大勢集まっていることだし、酒でも飲むか」  高虎が言った。 「よせ、よせ。教会で酒盛りなど」 「久右衛門殿への弔い酒でもある」 「ふーむ。まあ、そういうことなら……」  高虎は教会を出ていくと、しばらくして酒樽を肩に担いで戻ってきた。そして丸太のように太い筋肉質の腕でその蓋をバキッと叩き割り、盃を杓子のようにして酒をすくって各自に配っていった。 「ところで、長政殿は今どこに?」  その酒を飲みながらひとりが訊いた。左京がそれに答えた。 「どうせまたいつもの酒場だろう。あの阿呆め、その酒場で働くシャムの娘に随分と入れ込んでいるようでな」 「その娘はかわいいのか」 「愛想はいいが、器量は十人並みというところかのう」 「その娘なら俺も知っているぞ。少し太っていなかったか」 「乳房が大きいのではなく?」 「あれはただの肥満だな」 「では、長政殿は太めの女性が好きということか」 「ちょっと待て。長政の入れ込んでいる娘はおそらくそれではないぞ」  酔いが回るにつれて長政についての下世話な噂話は熱を帯びていき、教会内には男たちの楽しげな笑い声が響いた。
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