第4話 スペイン艦隊の襲来

1/1
前へ
/63ページ
次へ

第4話 スペイン艦隊の襲来

 静かな夜だった。夜空に浮かぶ満月はその光を周囲のすすき雲に滲ませ、チャオプラヤ川にも落としてその水面をちかちかと煌めかせている。川岸には何隻もの帆船が係留されており、帆を畳まれてマストやヤード、ロープだけの骨のようになった姿を夜の中にうっすらと浮かび上がらせている。左京は櫓の木柵に背中をもたれてその景色を眺めていた。  アユタヤはこれまでに何度かスペイン艦隊からの襲撃を受けたことがあった。そのため、チャオプラヤ川の河口近くに位置する日本人町に不審な船を監視する任務が王朝から与えられていた。日本人義勇軍の兵士が持ち回りで監視を行い、この日は左京が当番だった。  ふいに櫓の梯子をミシミシと誰かが登ってくる音が聞こえた。左京は咄嗟に刀を掴んで鯉口を切る。が、その音は途中まで登ってきたかと思うと、梯子を踏み外して地面にドスンと落下する音を響かせる。左京はそれで誰なのか察しがつき、ふッと笑みを浮かべて刀を鞘にしまった。  しばらくして櫓の床下からひょっこり顔を覗かせたのは左京の予想どおり長政だった。かなり酔っているようで顔全体を赤く染めている。 「やはりおぬしか」 「おい、聞いたぞ、左京。俺を勝手に頭領にしやがったそうじゃないか」  長政は床に腰を下ろしながら言った。 「寄合に参加しなかったのが悪い」 「俺が信長公の末裔だと言ったのをみんな真に受けてるんだろ。あれは冗談だったと正直に打ち明けて取り消してもらおう」 「今更そんな必要はあるまい。おぬしが信長公の末裔でなくても頭領に相応しいことに変わりはないからな」 「なにを言ってやがる」  長政は床にごろんと横になる。左京は川のほうに視線を戻し、周囲からの虫の鳴き声に耳を傾けながらそれとなく訊いた。 「なあ、長政よ。おぬしはどうしてシャムにやってきた」 「侍として戦って死にたかった」 「それだけか」 「なにが言いたい」 「もっと上を目指さないのか。おぬしはこのまま傭兵として終わるようなたまではないだろう。その気にさえなれば、あの信長公をも超える天下人になれると俺は見ているんだがな。そういう野心はないのか」  長政の返事はなかった。やがてすうすうと気持ちのよさそうな寝息を立てはじめたので左京はそれ以上話すのをやめた。  チャオプラヤ川の水面に反射する月明かりをぼんやりと眺めていると、しばらくしてそこに黒い影が差した。望遠鏡をそこに向けて接眼レンズを覗くと、低い船首楼に細長い船体の大型帆船のシルエットが見える。  ——あれは……。 「おい、長政。起きろ!」  左京はそう言って寝ている長政を蹴飛ばすと、櫓の天井から吊るされている、緊急事態を知らせるための鐘を撞木でカーン、カーンと何度も打ち鳴らした。
/63ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加