第5話 燃えるガレオン船

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第5話 燃えるガレオン船

 夜空を背景にして白い帆が揺らめいていた。三本のマストを備え、全体的に丸みを帯びた船体のキャラック船が向かい風をその帆に受けてチャオプラヤ川を遡上していた。  乗船しているのは長政と左京をはじめとした日本人義勇軍の三十余名。真夜中の緊急招集に駆けつけた者たちである。船は老朽化して港にずっと放置されていたオランダのものを勝手に拝借していた。 「そこの帆をもっと右に回せ!」  左京が帆を動かすためのロープを握る兵士たちに大声で指示を出す。日本人義勇軍の中で帆船操縦の心得があるのは左京だけであり、彼が操帆の指揮を取っていた。 「近づいてきたぞ!」  船首に立っていた長政が言った。進行方向の暗闇の中に五隻のガレオン船がうっすらとその姿を見せていた。突如アユタヤに襲来したスペイン艦隊を後ろから追いかける格好で日本人義勇軍を乗せたキャラック船は進んでいた。  スペイン艦隊は川沿いにある日本人町を通り過ぎようとしていた。その先にあるのはアユタヤの王宮と市街である。そこに到達する前に食い止めなくてはならなかった。  長政は陶器製の丸い器に火薬を詰めた焙烙玉を手に取った。その火縄の先に赤く燃える木炭を近づけて点火し、玉に巻かれている縄を掴んで頭上でぐるぐると回転させる。そしてパッと手を離して放り投げると勢いよく飛んでいく。が、スペイン艦隊までは届かず、川にポチャリと落ちてしまった。 「難しいものだな。もう少し近づかないと無理か」 「ここは私にお任せを」  そう言ってやってきたのは高虎だった。彼も焙烙玉を手に取って点火し、丸太のように太い腕で頭上でぐるぐると回転させる。そして雄叫びとともに放り投げた。 「どりゃ———ッ!」  放物線を描いて飛んでいき、スペイン艦隊まで届いたように見えた。が、その船上に乗ったのかどうかまではわからない。 「乗ったのか?」 「さあ、どうでしょう」  しかし、その数秒後のことだった。ド———ン! と打ち上げ花火のような大きな爆発音とともに一隻のガレオン船からポッと火の手が上がった。 「でかした! 命中だ」 「もう一発ぶち込んでおきますか」 「いや、待て……」  ガレオン船は帆の角度を変え、船体の向きをゆっくりと変える。その間にも船上の炎は大きくなっていき、わずかに黄味がかった鮮烈な光を纏わせた煙を夜空にもくもくと上らせている。その光は板の継ぎ目もはっきりと見えるほどに船体も明るく照らし出していた。その船体に横一列に取り付けられていた大砲が長政たちのほうに向けられた。 「来るぞ! 伏せろ!」  ズダダダダン! 甲板に体を伏せるのとほぼ同時に轟音が鳴り響いた。船体が大きく揺れ、体がわずかに宙に浮く。長政は伏せた状態のまま後ろに振り返って言った。 「ここで全員降りろ!」 「しかし……」 「心配するな。ここからは俺ひとりで十分だ」 「わかりました。ご武運を」  脱出用の小舟は船尾に括り付けられていた。兵士たちは次々とそれに乗ってキャラック船から脱出していく。そして長政ひとりだけが甲板には残された。  また砲撃音が鳴り響いて船体が揺れた。頭上でギギギッと木の軋む音が聞こえる。顔を上げると、へし折れたマストが倒れてきていた。甲板の手すりを乗り越え、帆やロープを巻き込んで先端から川に落ちていく。船としての原型を崩されながら、それでもキャラック船はスペイン艦隊に向かってゆっくりと進んでいく。  やがて遠くのほうの暗闇にポッと火が灯った。そこから燃え移るようにしていくつもの火が横一列に広がったかと思うと、艦隊に向かって一斉に放たれた。川岸で待機していた日本人義勇軍の別隊が火矢を放ったのである。  艦隊はすぐにそこから離れたいところだろうが、長政たちの船を迎え撃つために船体の向きを変えているため、すぐには動けない。そこへ火矢が雨霰のように降り注いで船上の火の手をさらに広げていく。  ここまでは左京の立てた作戦のとおりに進んでいた。そしてこれにはさらに続きがあった。キャラック船には大量の火薬が積まれていた。船をこのまま前進させ、艦隊に接触したタイミングでそれを船ごと爆発させるのである。  長政は燃える木炭の入った陶器をもって階段で船の最下層である大三甲板に下りた。光のほとんど届かない空間を木炭の赤い光が仄かに照らし、船体を貫通するマストの丸い柱がうっすらと浮かび上がる。その脇に火薬の大量に詰められた木箱が置かれており、そこから火縄が長く伸びていた。  そこに近づいて腰を屈めた。静寂の中に響く水の音。やがてそこにスペイン人たちの怒号が交じるようになった。  ——頃合いだな……。  木炭を火縄の先に触れさせた。火縄に移った火にふっと息を吹きかけると赤い輝きが強くなる。あとは火薬に着火する前に船を脱出するのみである。が、上の甲板に戻ろうと階段に足をかけたときだった。  ジュ……。背後で火の消される音が聞こえた。振り向くと、暗闇の中にひとりの男が立っているのが見えた。革靴の底で火縄の火をもみけした踏み消したようである。 「やってくれおったな」  そう言って革靴の音をコツコツと響かせながらゆっくりと近づいてくる。やがて木炭の光が男の全身をうっすらと照らし出した。胸元の大きく開いたシャツと革のベストを着ており、その上に太いベルトを巻いている。金髪を後ろに流し、口髭はきれいに整えている。この船までは泳いできたのだろう、全身からポタポタと水滴を垂らしていた。 「その格好、もしかして日本人か」  そのスペイン人はシャキンと冷たい金属音を響かせて腰に差したサーベルを鞘から抜き取った。そして細く真っ直ぐなその刀身の切っ先を長政に向けて言う。 「おまえも刀を抜け」 「バカを言うな。呑気に斬り合いなどしている場合か。じきにここにも火がまわる。あの火薬に着火したら俺もおまえも木っ端微塵だ」 「ならば、それまでに勝負をつければいいだけのこと。それとも怖いか?」  長政はくくッと笑い、木炭の入った陶器を床に置いて刀の鯉口を切った。 「面白い。受けてやるよ」  スペイン人は片手持ち、長政は両手持ちでそれぞれの武器を構えて向き合う。お互いに身動きせずに相手の隙をじっとうかがった。  しばらくして船がドンと大きく揺れ、長政の構えが崩れた。それを機にスペイン人から踏み込んだ。長政の喉に目がけて真っ直ぐに刃が放たれる。  キン!  突き刺さる寸前のところで弾いた。すぐに反撃に転じ、刀を振り下ろした。激しい打ち合いになり、船内の薄闇に刃のぶつかり合う音が響いた。  しばらくしてスペイン人の突きが長政の肩をヒュッと掠めた。小袖にパラリと切り込みが入り、そこからすうッと血が流れる。  間合いが長く、連続して放たれる突きが厄介だった。長政は壁際まで後退した。壁を背にすれば相手は迂闊に突きを放つことができなくなる。それさえ封じてしまえば斬り合いは自分に分があると踏んでいた。  しかし、スペイン人は攻めてこない。長政の刀の間合いの外から様子をうかがっていた。が、長政から出るつもりもない。両者はただじっと睨み合い、時間だけがいたずらに流れていった。  やがてスペイン人の顔に朱色の光が差した。その淡い光は木漏れ日のように揺れながら徐々に広がっていき、それまでおぼろげにしか見えていなかった彼の顔を露にした。切れ長の目の下に刀で斬られたような古傷があった。  天井の一角がめらめらと燃えていた。が、それでも二人は動かない。爆発の恐怖に耐えられずに先に動いたほうが負ける。そんな胆力勝負の様相を呈していた。 「ひとつ訊いておきたい」  ふいにスペイン人が口を開いた。 「日本の侍がいかに勇猛であるかは我らの国にまで伝わっている。その侍がなぜシャム人の下などで働いている?」 「おまえには関係のないことだ」 「答えろ」 「この国ではまだ俺たち侍の力が必要とされていた。それだけのことだ」 「要するに日本からは戦力外通告をされたというわけか」 「なんだ、てめえ……」  長政を前に出させるための安い挑発。そんなものに乗ってはいけない。頭でそうわかっていても刀を握る両手には思わずぎゅッと力が入る。 「現におまえは私の剣に臆して一歩も動けなくなっているではないか。おまえのような腰抜けはシャムの犬として生きるしかなかったのだろう」  ——殺す……!  床を蹴って前に出ていた。それに合わせてサーベルの突きが放たれる。  ザムッ!  肉と骨の切断される音。床に跳ねる血。長政の刀の先は天井に向けられている。床にスペイン人のサーベルがドスッと突き刺さった。枠状の護拳の付いた柄には彼の手が握られたままになっている。それがポトリと落ちた。 「ぐッ……」  スペイン人は自分の右腕を抱き込むようにしてうずくまる。その上腕の半分から先は失われており、そこから血が溢れ出していた。 「どうだ。これでもまだ俺を腰抜け呼ばわりするか」  長政は刀をスペイン人の眼前に突きつけて言う。火はすでに第三甲板の広範囲に広がっており、その朱色が二人を包み込んでいる。  スペイン人はなにも答えず、ただ口の端にふッと笑みを浮かべた。長政は彼にとどめを刺すため、情け容赦なく刀を振り下ろした。
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