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序幕
やっとこの日が来た。
男は歓喜に身を震わせていた。
才能があるのに、その才能を認められず、分家の人間とさげすまれた日々。
政治と言うモノを解せぬ武骨者たちが幅を利かせ、領地の権益を守るために日々苦心していた自分がさげすまれる状況に、男は屈辱を鬱屈した思いを抱えていた。
「武芸にばかり傾倒し、政治の重要性を解さぬ愚か者どもめが」
鬱屈した思いが冥い言葉となり口をつく。
だがまぁいい、雌伏の時間は終わるのだ。
これから先、この領地を動かすのは我が主と私になるのだから。
喉の奥をならすかのようなクツクツという笑い声が暗い廊下に響き渡った。
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「帝都からの視察の使者がおいでなのです、それなりの歓待をせねば格好がつきませぬぞ」
グレイシオス帝国の北西部、異民族と共存を強いられ、土地はほぼ山岳の貧しい領土。
その地は『カザード』と呼ばれていた
グレイシオス帝国初代皇帝エインリュッヘ・グレイシオスが挙兵した際に、最初は異民族と共に其れに抗い、後にエインリュッヘの最大の協力者となったオルディン・バルザードル公が、その功績の対価として下賜されて、以降は代々その嫡男が後継となり治めてきた土地である。
現在の公王はオルフレア・バルザードルで、五代目の当主であった。
オルフレアは齢50を超えても、未だ現役の戦士であり年齢に不相応な強靱な筋肉に覆われた体躯を赤銅色の鎧で包んでいる。
カザード国はその成り立ちのせいか、帝国内でも一番と言えるほどの尚武の国であり、武官の立場は高い。
かつては文官は、身の置き場がないという冗談がささやかれる程度には冷遇されていたが、オルフレアの代にかなりの改革が行われて、武官よりは低い地位ではあるものの、それでもかつてに比べるまでもないほどに文官の地位は向上したと言われている。
今オルフレアに向かって進言しているのは、文官位筆頭の、オルフレアの従兄弟に当たるコルマート・デ・バルザードルその人であった。
そのミドルネームから国内ではデ・バルザードル家と呼ばれている。
代々文官を輩出している家系でもあり、優秀な人材がそろっては居るものの、今までは文官軽視の風潮が強かったためか、主家の一門といえども冷遇されていた過去がある。
「コルマートよ、お前の言うことは解った。生憎とわしは帝都の作法には詳しくない、歓待の責任者を任せる故に、上手く取り計らってくれ」
オルフレアは鷹揚にそう言うと、気安い態度でコルマートの肩を軽く叩いた。
「お前が諸事に通じてくれているおかげで、わしは恥をかかずにすむ。本当に頼りにしている」
「カザード公にそう言ってもらえるとは、恐悦の至りにて。かつて我らコ・バルザードル家の苦難の歴史も報われる気持ちがいたします」
口調とは裏腹ににこりともせずに、しかし恭しく頭を垂れてコルマートが答える。
「先代といい、同じ一門に対してひどい扱いだったことは承知している。今後は働きに見合った処遇を約束する。すまぬがわしの為に力を貸してくれ」
「はは……一門として、そしてここまで取り立てていただいた恩に報いるためにも、必ずやご期待に添えるよう励みますぞ」
やはり一切の笑顔も無いままそう答えたコルマートは、再度頭を下げて礼を取ると、そのまま退出していった。
「コルマート……、才はあれども読めぬ男よな。毒となるか薬となるか。いや、今は言うまい。これも先代までの因縁よ」
コルマートが立ち去った後、オルフレアは短くため息を吐き、そう呟いた。
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