第12話

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第12話

 覆面四台で本部に戻ると既に昼過ぎだった。四名の隊員らを労って自宅に帰してから、自分たちも帰って残り一日半の休日を愉しもうと思った時、霧島のデスクで警電が鳴る。警電のデジタル表示を見て霧島の眉間にシワが寄った。それで相手が誰だか京哉にも分かり、嫌な予感が湧いて思わず遠い目になった。  非常に不機嫌そうに霧島が警電を取る。 「はい、こちら機捜の霧島」 《#一ノ瀬__いちのせ__#だ。休日出勤で生安の捕り物はご苦労だったねえ。せっかく出勤したことだし、ご苦労ついでに小田切くんと鳴海くんも一緒にわたしの部屋に来てくれ》  のんびりした口調で一方的に喋って通話を切った相手は県警本部長だった。  このパターンで過去数え切れないくらい特別任務という名の地獄に蹴り落とされてきた霧島と京哉である。だが相手は警視監だ。蹴飛ばせるレヴェルの人物ではない。  三分後には本部長室の来客用三人掛けソファに霧島・京哉・小田切という、階級を無視しているが揉め事は避け得ている順に腰掛け、これも休日出勤の秘書官からコーヒーを振る舞われていた。その液体表面から京哉は一ノ瀬警視監に目を移し、じっと観察する。  巡査部長から数えてじつに六階級も上におわす雲上人だが、もう何度もここには呼び出されているので緊張するのには飽きて随分と経っていた。  それにしても会うたびに丸くなってゆくような気がする一ノ瀬本部長は、身長こそ京哉くらいだったが体重は霧島二人分でも足りるかどうか。特注したのだろう制服の前ボタンは弾け飛ぶ寸前で、だがミテクレを何ら気にしていないらしくロウテーブルには大きな丸いクッキーの缶が置いてあり、既に半分は本部長の胃袋で消化中らしかった。  コーヒーにスティックシュガーを三本も入れてスプーンで掻き回し、溶けきれないシュガーでジャリジャリの液体を舐める本部長は、不自然に黒々とした髪を整髪料でペッタリと撫でつけて、まるきり幕下力士のようである。  だがこう見えて結構な切れ者のタヌキなのだ。かつての暗殺反対派の急先鋒でメディアを通した世論操作を得意とする、なかなか侮りがたい人物という厄介さだった。 「きみたちも熱いうちに飲みたまえ。ほら、このクッキーも食べて」  コーヒーだけは頂きながら室内にあと二名いる客人に京哉は目を移して眺める。両方男でスーツを着用していた。生地も仕立てもかなりいいようだ。するとまた高級官僚か国会議員から遣わされてきた秘書といったところだろうかと考えを巡らせる。  ぼうっと京哉が考えていると隣で霧島が出し抜けに言い放ちかけた。 「本部長。用件があるなら早く仰って頂きたい。ここで茶を飲むヒマがあるなら私はさっさとウチに帰って水道水でも飲んだ方がマシ、そして鳴海巡査部長と昨夜の続きをしっぽり――」 「――わああ~っ、天気もいいし、絶好の特別任務日和ですねえ!」  大声で誤魔化しながら京哉は霧島の脇腹を肘で突いた。二人の仲も知る一ノ瀬本部長はそんなやり取りを面白そうに眺めていたが次には丸い頬を引き締め本題に入る。 「では霧島警視と鳴海巡査部長に特別任務を下す。故郷に潜伏したとみられるゴッホとモネ専門の女流贋作画家・イーリィ=オーツを捜索・発見し、当本部に連行せよ。小田切くんには例の如く隊長不在の機捜を預かって貰う」 「……イーリィ=オーツなる名からして、その故郷は遠い可能性が大なのでは?」 「そうだね、霧島くん。ヨーロッパのオルセキアなる国を知っていると思うが?」  何だか既に疲れた気分になり、再び霧島が発言権を得て文句を垂れた。 「その贋作の件については捜二が生安の協力を得て帳場を立てている筈です。何故そこで我々が本ボシを挙げに欧州まで出張らなければならないのでしょうか?」 「これは捜二の帳場にも流れていない事実なので特別任務の常として他言無用なのだが、その女流贋作画家の顧客、つまり騙されて億というカネを搾り取られたマル害の中には、国会議員の先生方が多く含まれていたのだよ。好事家のクラブが丸ごとやられたのだ」 「その議員先生方の『見る目がなかった』事実が広まる前に女流贋作画家を捕まえ、取り調べで議員先生方の名を出さぬようバーターを持ちかけたい、そういうことですか?」  肯定も否定もせずに一ノ瀬本部長はこれも丸い肩を竦めてみせる。 「好事家クラブの会員だった議員の中には、じつは好事家でも何でもなくコネだけ利用して絵画を買い占め、投機対象にしていた先生方もいたと聞いている。もはや事務所運営費捻出でさえ危うい人物もいるという話だ」 「なるほど、自業自得では済ませられない人物が含まれているという訳ですね」  面白くもなさそうに言った霧島に一介の県警本部長としての権限を越えた話をしつつ一ノ瀬警視監も丸い頬にシニカルな笑みを浮かべた。 「そういった方々について詳しく語っていたら日が暮れるよ。わたしにはそんなことを語る趣味もないしねえ。ただイーリィ=オーツとのバーターが必要だとの判断にはわたしも頷いた。カネは集められるが一度失墜した信用はなかなかカネでは買えん」 「だからといって何故我々に……まさかまた元サッチョウ長官で国会議員の塩谷(しおや)氏辺りが噛んでいるパターンなのでしょうか?」 「塩谷氏は二億で済んだそうだ。だがそれこそお怒りでね。塩谷氏の愚痴はサッチョウに対する鶴の一声だ。これから先もきみたち二人がバディとして、またパートナーとして続けていけるかどうかを左右するのは事実なのだよ。嫌でも頷いて貰うしかないのが現実だ、すまないねえ」  どうやら塩谷氏の代理としてやってきた高級スーツ男二人もカクカクと頷いた。 「分かりました、幾度も聞かされた同じ脅しはもう結構。鳴海、いいな?」 「仕方ないですよね、はあ~っ」  そこで霧島が鋭い号令を掛け、三人揃って立ち上がる。 「気を付け、敬礼! 霧島警視以下三名は特別任務を拝命致します。敬礼!」 「うむ。必要書類はこれだ。必要経費としていつものクレジットカードを預ける。航空機のチケットはこれだが、今回は羽田発なので間違えないように。今回は内戦の地でもないので弾薬の追加はナシとする。何か質問は? なければ以上だ」  京哉たち三人は県警本部長室を辞した。廊下に出るなり京哉は頭を抱える。 「あああ、また国際線で禁煙地獄だ~っ!」 「喚いているヒマはないぞ、京哉。チケットは今晩二十時の便だからな」  一人留守番の小田切が安堵の表情ながら気遣ってみせた。 「何だか悪いなあ。霧島さんの車を使っていいなら、俺が空港まで送ろうか?」 「それは気が利いているな。たまには使えるところを見せろ」 「褒めてるのか貶してるのか、どっちだい?」  ともかく急に忙しくなった三人は機捜の詰め所に駆け込んで、霧島が本日上番の二班長である機捜の長老・田上(たがみ)警部補にまたしても京哉ともども出張が入ったことを告げる。 「不在中は各班長を主軸とし、副隊長を支えつつ宜しくやって欲しい」 「はいはい、気を付けてちゃんと帰ってきなさい」  謎な出張ばかりしている隊長と秘書にもう誰も何も訊かない。自分たちの『知る必要のないこと』と心得ているからだ。有難く思いながら、だがのんびりしていられないので三人はそそくさと詰め所を出て一階へ。裏口から出て白いセダンに乗り込む。  霧島の運転で真城市のマンションに帰り着くと、京哉は二人分の着替えやパスポートなどをショルダーバッグに詰めた。霧島は冷蔵庫の食材を冷凍処理し、小田切は冷凍できないものを片端から食う。特にレアチョコチーズケーキを小田切は気に入ったらしい。  準備ができると霧島と京哉は一式全てを着替え直した。手錠ホルダーや特殊警棒は持ち歩かないので帯革は締めずに、ベルトに直接九ミリパラベラムを十五発満タンにしたスペアマガジン二本入りパウチを着ける。ジャケットの下、左脇にはショルダーホルスタでシグ・ザウエルP226を吊った。  室内の電源や火元を確認してから部屋を出るとロックし、また三人で月極駐車場まで急ぐ。途中のコンビニ・サンチェーンで京哉は煙草を買い占めるのも忘れない。
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