第14話

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第14話

「ところで忍さん、イーリィ=オーツをどうやって探すんですか?」  落ち着くなり前向き発言を始めた京哉の生真面目さに霧島は灰色の目を眇め笑う。 「本部長から預かってきた資料がある。それによるとイーリィ=オーツの実家がこのランスの郊外にあるらしい。現在も肉親が住んでいるという、そこから潰す」 「でも国際指名手配を掛けた訳でもないのに、同行に応じるでしょうか?」 「そこは我が国の議員先生たちの持ちかけたバーターをちらつかせる他あるまい」  資料によるとイーリィ=オーツの日本滞在歴は長く、このオルセキアには逮捕を察して逃げ帰っただけで、生活基盤は全て日本に残してきたので本人も日本に戻りたがっているのではないかという話だった。おまけにイーリィ=オーツには離婚した日本人夫の許に自分が親権を持つ娘も預けているという。 「なら上手く話さえ通じれば、割と簡単な特別任務かも知れませんね」 「そうあって欲しいものだ」  そこで料理が運ばれてきて二人は行儀良く手を合わせてからサラダを食べ始めた。次のスープも飲んでみたが、やはり京哉には日本のファミレスと味も変わらないように思われた。味覚も視覚的嗜好もかけ離れていなくて幸いである。  お蔭でアンチョビのピザもスパゲッティもそこそこ美味しく二人の胃に収まる。食後のコーヒーと煙草二本を消費すると客の増えてきた店で粘ることなく席を立った。  外に出ると京哉はダッフルコート、霧島はチェスターコートを羽織る。 「このまますぐに被疑者確保に向かいますか?」 「確保するかどうかはともかくとして、動向だけでも掴んでおきたい」 「じゃあ、またタクシーですね」  車両乗り入れ禁止らしい広場を縦断して通りに出ると黄色いタクシーはすぐに捕まった。乗り込むと霧島が英語でイーリィ=オーツの実家のアドレスを告げる。  快調に走り出したタクシーの後部座席で二人は指先を握り合っていた。  窓外の光景が古い街並みからいつしか茶色い畑に変わる。時折緑の草地に牛や羊が放牧されていて非常にのどかな光景だ。巨大パッチワークのようなそれらを眺めているうちにタクシーが停止する。ドライバーが指差したのは畑の中に建つ一軒家だ。  軒先までは乗せて貰えなかったが文句もなく、またカードで清算して二人は降り立つ。足元は既に土を押し固めた畔道だった。一軒家に繋がるその道を二人はてくてく歩いた。  辿り着いてみると一軒家はかなりの大きさだ。霧島が英語で声を掛ける。 「おーい、誰かいないか!」  二度、声を張り上げると玄関ドア内側で気配がした。ロックが解かれドアが開く。 「誰だい、こんな昼日中に訪ねてくるのは?」  現れたのは車椅子に乗った老年男と、車椅子を押す男の妻らしき老年の女だった。だがまともに霧島と京哉の風貌を目にした老夫婦は一瞬ポカンとした顔をしてから、我に返ったように大声で喚き始めた。早口の現地語で霧島にも意味が分からない。  ひとしきり喚かせておいて息継ぎする合間を狙い、すかさず霧島が言葉を挟む。 「落ち着いて下さい。イーリィさんは貴方がたの娘さんで間違いないですね?」  すると老夫婦も英語に切り替えてくれた。だが喚き声は変わらない。 「あんなのはもう親でも子でもないよ!」 「イーリィさんは帰宅されていないのですか?」 「あんたらは日本の警察だろう? 警察に世話になるような娘なんか娘じゃない。一昨日になって十年ぶりに顔を見せるなりランスの警官が訪ねてきて『ニッポンでの贋作の件で署に来い』とか何とか言い始めたから、一緒に追い出してやったのさ」 「それから娘さんは?」 「知らないよ。ランスの警察にでも訊くことだね」  それだけ言うと老夫婦は玄関ドアをバタンと閉めた。ロックの掛かる音がする。 「うーん、残念賞」  双方向通訳も務めてくれていた霧島が京哉の長めの髪をクシャリと掴んだ。その手でポケットから携帯を出しマップを表示する。携帯はルーマニアのアンリ・コアンダ国際空港で短いトランジットの間に手に入れた、ここオルセキアでも使用可能な安物だ。あちこち行くたびに携帯が壊れたり無くなったりするので基本、現地調達にしている。  その携帯に表示された、ここから一番近いPSはランス南警察署らしい。 「ランス南警察署に行くぞ」  この辺りでタクシーを拾うのは難儀だと知ってのことか乗ってきたタクシーのドライバーは昼寝をしながら待っていてくれた。有難く乗り込んでランス南警察署に向かって貰う。割とすぐに着いて二人は余所の国の警察署も話の通りづらさや担当者を呼び出して貰うまでの果てしなく無駄なシステムは自国と同じだと知ることになった。  だがようやく被疑者を引っ張った刑事本人に話を聞いてみると既にランス南警察署にもイーリィ=オーツは勾留されておらず、一昨日の段階で証拠不十分にてパイされたとのことだった。こうなると何処を探していいものやら分からない。  そこで仕方なく更なる手掛かりを求めランス南警察署一階のベンチに座ると、霧島が香坂警視にメールを打ってみた。時差があるにも関わらず返信がすぐにくる。 「ええと、《昨日早くイーリィ=オーツはオルセキアを出国、日本便に搭乗したとの確実な情報。警視庁捜二が羽田で待機し身柄確保の予定》って、何それ、酷い!」 「上は上で情報伝達に齟齬が生じていたらしいな」 「そんな、忍さんってば落ち着きすぎですよ! 僕ら、無駄足だったんですよ?」 「怒っても事態は変わらん。あと一日くらい海外旅行をお前と愉しんで帰るだけだ」 「ん……まあ、そう言われれば女性を身柄確保して日本まで護送なんて面倒だし、これはこれで良かったのかも知れませんね。じゃあ、忍さんとデートだあ!」  穏やかでありながら情欲を垣間見せる灰色の目にあっさり懐柔され、京哉も本日の宿探しに積極参加し始めた。警察署を出て霧島と手を繋ぎながら石畳の歩道をのんびり歩く。
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